130台を超えるピンクのキャデラックが、「ソウルの女王」アレサ・フランクリンの葬儀に集結
アレサ・フランクリンの葬儀が8月31日、米国ミシガン州デトロイトの教会で執り行われ、スティービー・ワンダーやアリアナ・グランデ、チャカ・カーンなどのアーティストによる演奏に、元米国大統領のビル・クリントンやアル・シャープトン師などの著名人らによる弔辞など、"ソウルの女王"との別れは5時間以上におよんだ。そして教会の前の道路には、130台を超えるピンク色のキャデラックが集結して列を作った。

これは、アレサ・フランクリンがグラミー賞を受賞した1985年のヒット曲「Freeway of Love」に登場する「私のピンクのキャデラックに乗って、愛のフリーウェイを走って行かない?」という歌詞に因んだもの。葬儀が行われたグレーター・グレース・テンプルのチャールズ・エリス3世牧師の妻、クリセット・エリスによれば、このアイデアは、殉職した警察官の葬儀で、警察官がパトカーの列を作ったことから着想を得たという。「私の夫が、『アレサ・フランクリンの遺体が到着した時、彼女にお別れを言うためにセブン・マイル・ロードに多数のピンクのキャデラックが並んでいたら素晴らしいと思わないか?』と言ったんです」と彼女はナショナル・パブリック・ラジオに語っている

「デトロイトならでは。130台のピンクのキャデラックがアレサ・フランクリンの葬儀開始前にグレーター・グレース・テンプルの前に参列している」

クリセット・エリスは、売り上げトップを記録した販売員にピンクのキャデラックを褒美として提供していることで有名な「Mary Kay コスメティックス」のインデペンデント・ナショナル・セールス・ディレクターを務めており、その販売員たちに呼び掛けたようだ。「あちこちから来てくれました。テキサス、ネブラスカ州オマハ、フロリダ、ノースキャロライナ、メリーランドなど遠方から来てくれたのです」

葬儀はグレーター・グレース・テンプルで朝10時に開始された。そして1週間にわたり、アレサ・フランクリンの人生と彼女の楽曲が称えられることになっている。その中には、チャールズ・H・ライト・アフリカ系アメリカ人歴史博物館で行われる2日間の追悼式やコンサートなどが含まれる。フェイス・ヒル、ジェニファー・ハドソンなどがパフォーマンスを行い、タイラー・ペリーやジェシー・ジャクソン牧師が弔辞を述べる予定だ。

アレサ・フランクリンは過去に3人の元大統領、ジミー・カーター、ビル・クリントン、バラク・オバマの大統領就任式で歌を披露した、米国の象徴的な人物だ。2005年にはジョージ・W・ブッシュ元大統領から大統領自由勲章を受章している。

ビル・クリントンと妻のヒラリー・クリントンは、葬儀が開始される前に教会に入った際、アレサ・フランクリンに喝采を送り、そして彼女の開いた棺のそばに静かに立っていた。フランクリンの遺体は、キラキラしたゴールドのドレスに身を包んでいた。

一般の人は葬儀に参列できなかったが、多くのファンが喪服を着て教会前に集まった。

「米国人がこの国に感じるのと同じような親愛の情を、アレサは全ての人から得ていました」と、自動車組み立て工場で働く53歳のミッシー・セットラーズさんは語った。

フランクリンは8月16日、デトロイトの自宅で膵臓がんのため死去した。彼女は子供の頃、この街のニュー・ベテル・バプティスト教会で歌うことで、音楽家としてのキャリアをスタートさせた。彼女の父、C.L.フランクリンはこの教会の牧師で、催眠暗示的効果をもたらす説教で有名な人物だった。

デトロイトは彼女の死に弔意を表し、その象徴的な人物を悼み街を挙げて壮大な葬儀を行った。2005年に公民権活動家のローザ・パークスが亡くなった際の葬儀は7時間以上におよび、フランクリンも歌った。フランクリンはパークスと同じデトロイトの墓地で永眠することになる。フランクリンの遺体は、2005年のパークスと同じく、1940年型ラ・サールの霊柩車によって運ばれた

フランクリンが埋葬されたウッドローン墓地には、彼女の父親のほか、兄のセシル、姉のエルマ、妹のキャロラインが眠っている。

(この記事にはロイターからの情報を使用)



By SVEN GUSTAFSON
翻訳:日本映像翻訳アカデミー

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