【今週の名車】第1回:戦後のアルファ ロメオに黄金期をもたらした傑作 クーペ 「ジュリア・スプリントGT」
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戦後アルファロメオを
代表するジュリア・スプリントGT


大戦後、量産メーカーとして再起を図ったアルファ ロメオは、まず1950年に高級車の「1900」(下の写真)を発表し、続いて55年に大衆車の「ジュリエッタ」を世に送り出す。両モデルは量産車でありながら、当時は一部のスポーツカーのみに搭載が許されていたツインカムユニットを搭載し、戦前の伝統を受け継ぐ高性能車として仕立てられたことから発表と同時にたちまち人気車種となる。


両モデルの成功(ポルテッロ工場でライセンス生産していた「ルノー ドーフィン」のヒットも追い風となった)により、アルファ ロメオはイタリア国内でシェアを伸ばすことに成功する。そして、50年代後半に入ると両モデルの後継車種の開発がスタートした。こうして誕生したのが57年発表の2000であり、62年発表のジュリアであった。


このジュリアであるが、当初ニューボディで登場したのはベルリーナ(セダン)のみ(上の写真)で、スポーツモデルの4座クーペは、車名が「ジュリエッタ・スプリント」から「ジュリア・スプリント」に変更された上で継続生産されることになった(車名変更に伴い、新たに1.6Lエンジンが追加され、外装の意匠が小変更を受けた)。しかし、これはあくまでも暫定モデル。翌63年秋に4座クーペもフルモデルチェンジを受け、装いも新たに「ジュリア・スプリント GT」として登場している(それまでのスプリントは1.3Lモデルのみ「GT1300 ジュニア」の名称で66年まで継続生産された)。


若きジウジアーロが手掛けた
魅力的なスタイリング


スプリント GTのスタイリングは前モデルに引き続きカロッツェリア・ベルトーネが担当したが、実際にデザイン画を描いたのはフィアットから同工房に移籍した弱冠26歳(発表時の年齢)のジョルジェット・ジウジアーロである。

当時のアルファロメオは、稼ぎ頭のベルリーナは自社でデザインするいっぽう、華であるクーペやコンバーチブルなどの変わりボディは著名なカロッツェリアに外注してデザインすることが通例であった。

全長4076mm × 全幅1578mm × 全高1320mm、ホイールベース2350mmというコンパクトなボディサイズにも関わらず、大人4人が乗ることができる居住空間を確保した上で華飾を排したシンプルかつ美しいスタイリングを実現した辺りは、若きジウジアーロの才能があますことなく発揮された結果である。

ジウジアーロにとってスプリント GTは、ベルトーネのチーフデザイナーになってから3作目に当たる。彼の最初の作品は60年のジュネーブショーでお披露目となった「ゴードン・キーブル GT」であり、2作目が同年に発表された「アルファ ロメオ 2000 スプリント」であった。スプリント GTはサイズこそ違うものの2000 スプリントと同じ主題でデザインされた4座クーペであり、各ピラーとルーフが構成するキャビン上屋のラインに共通点を見出すことができる。だが、前モデルのリアエンドはボテッとして暑苦しく、精錬度という点ではスプリント GTに軍配が上がる。この2台を比べるとジウジアーロの天分の才がわずかな期間の間につぼみから花開いたことが見て取れる。


60年代当時としては
先進的なメカニズムを採用


もちろん、スプリント GTはスタイリングの美しさだけで名車になったわけではない。心臓部にはツインキャブを装備したオールアルミ製の直4DOHCが搭載され、組み合わされるギアボックスはジュリエッタの4速MTから5速MTへと進化し、ブレーキは一気に4輪ドラムから4輪ディスクとなるなど、60年代前半の量産車としては前例がないほどの高性能車として仕立てられている。

足回りは先にデビューしたベルリーナと同じく、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングリンク&コイルのリジットとなるが、そこはセッティング巧者のアルファ ロメオが手掛けただけあってネガとはならなかった。ロードホールディングは大変素晴らしく、ボディが深くロールしてもけっしてタイヤが路面から離れることはなく、スタビリティは大変高かった。そのことは60年代のツーリングカーレースでライバルとなったBMW 2002が四輪独立懸架を採用していたにも関わらず、ジュリアに対して決定的なアドバンテージとならなかったことからも証明されている。


ジュリア・クーペの
バリエーション


1.6Lエンジンを搭載するスプリント GTから始まったジュリア・クーペは、ベルリーナと同様に車種体系は何度も整理され、77年の生産終了までにさまざまなバリエーションを生み出すことになった。

スプリント GTのデビューから1年後の64年に最初の派生モデルとなるカロッツェリア・トゥーリングがオープンボディに改造した「スプリントGTC」が登場(『スパイダー』が登場するまでのリリーフモデル。2年間に1000台が生産された)。65年にはスプリント GTの性能向上版の「スプリント GTV」と、1.3Lエンジンを搭載する廉価版の「GT1300 ジュニア」が追加された。

67年にスプリントGTVは初のマイナーチェンジを受けて1.8Lエンジンを搭載する「1750GTV」(上の写真)へと進化する。その際にフェイスリフトが行われ、前期モデルの特徴であった「段付き」と呼ばれるフロントノーズがなくなり、グリルが小型化され、ヘッドランプは2灯式から4灯式となった。後期型はボディ強度のアップと生産コストの低減(段付きのノーズ部分は職人が手作業で溶接していた)からフラットノーズ化されたと言われているが、廉価版であるはずのGT1300 ジュニアは不思議なことに段付きのまま73年まで生産が続けられている。

そして、71年には1750GTVの後継モデルとしてシリーズ最強の2Lエンジンを搭載する「2000GTV」が登場。同時に1300GT ジュニアとのギャップを埋めるため1.6Lエンジンを搭載する「1600GT ジュニア」も追加された(フラットノーズの2灯式フェイスを持つ)。また、72年いっぱいで生産を終了した1300GT ジュニアは、ファンのラブコールを受けて74年に1600GT ジュニアと同じマスクになって再登場している。


サーキットで暴れ回った
GTAの系譜


モータースポーツにも積極的な姿勢を見せるアルファ ロメオは、65年にスプリント GTのボディをそっくりアルミニウムに置き換えて軽量化した競技向けのホットモデルである「スプリントGTA」(上の写真)を発表した。車名の「A」はイタリア語の「Alleggerita(軽量化された)」の略である。

このクルマは1.6L直4エンジンをツインプラグ化し、ウェバー45DCOE型ツインキャブレター、オイルサンプ、カムカバー、クラッチハウジングなどをマグネシウム化するなどのチューニングが施された。少数のロードモデルが販売された以外は、アルファ ロメオ・ワークスチームの「アウトデルタ」がレースで使用し、66~69年まで4年連続でヨーロッパツーリングカー選手権のチャンピオンになっている。


68年にはGT1300 ジュニアをベースにした「GTA1300 ジュニア」が追加されたほか、70年にはツーリングカーレースのレギュレーション変更に伴い、1750GTVをベースにした「1750GTAm」(上の写真)が登場している(なお、同車は71年には名称が「2000GTAm」に変更されるが中身はほとんど変わっていない)。


ジュリアの名声は
2代目に引き継がれる


ジュリア・クーペは当時としては先進的なメカ二ズムをジウジアーロの美しいスタイリングで包んだ戦後のアルファ ロメオを代表する1台である。当時の人々はこのクルマの美しさに目を奪われ、熱い走りに魅了され、実際にオーナーとなった人は意外な居住性と実用性の高さに満足した。ジュリア・クーペをきっかけに熱烈なアルフィスタ(アルファ・ファン)になった人も世界中に大勢おり、60年代のアルファ躍進の原動力となった。

その名声は現在もなお保たれているが、アルファ ロメオにとっても特別な思い入れのあった車名なのだろう、77年に同車の生産が終了して以来、長らく封印されたまま再使用されることはなかった。そんなジュリアの名称が再び復活したのは一昨年(2015年)のことであった。2代目ジュリアは昨年から日本市場でも販売を開始し、往時を知らない人々の間でも話題となっている。

まだクーペボディは登場してはいないが、いずれはバリエーションのひとつとして加えられることだろう。願わくは初代ジュリアが戦後アルファの第1次黄金期をもたらすきっかけを作ったように、2代目ジュリアも21世紀のアルファ ロメオ躍進の原動力となって欲しいものである。

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