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前回からの続き

2018年3月30日(金)〜4月2日(月)にかけて、京都・元離宮二条城にて『コンコルソ・デレガンツァ 京都 2018』が開催された。イタリアの『コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ』やアメリカの『ペブルビーチ・コンクール・デレガンス』を手本としたこのイベントには、国の内外から世界最高峰のビンテージカー27台が集められた

ビッグスクーターを使って
8時間かけて京都に到着


筆者が離宮二条城に到着したのは、千葉の自宅を出発してから8時間後の1日午前11時のこと。道中は比較的順調だったのだが、桜の季節ということで名神高速道路は京都東インター手前から大渋滞で、高速を降りてからの一般道も観光に訪れたクルマの群で数珠つなぎだった。旅費節約のため、移動はクルマではなくグランドマジェスティを使用したのだが、これが結果的に大正解だった。渋滞中のクルマを横目に、機動力の高いビッグスクーターは京都市内を順調に駆け抜けて行く。

目的地に到着した筆者はバイクを降りて二条城へ向かった。だが、ここも観光客で混雑しており、二条城の入場チケットを買うだけで20分も待たされた。幸いにも来場者のお目当ては桜と城だったようで、『コンコルソ デレガンツァ 京都 2018』の会場は思ったほど混雑してはいない。

オレは今、
猛烈に感動している!(©巨人の星)


受付で取材申請をしてから中に入ると、そこはまさに別天地。クラシックカーファンにとっての地上の楽園(某北の国のことではなく)が広がっていた。入場口正面に展示されていたのは、1926年型 フィアット 509デルフィーノと、37年型 ブガッティ T57コーチ・ヴァンドーの2台。どちらも国内では滅多にお目にかかる機会のない歴史的な名車で、前者は筆者も実車を見るのは初めてだった。

いきなりの強烈な先制パンチに目眩を覚える。本来ならこの2台から順路に従ってじっくりと見て行くのが筋かもしれないが、筆者はごちそうを最後まで取っておくことができない性分。とりあえずフィアットとブガッティはあとでゆっくりと見ることにして、まずはお目当てのディスコ・ヴォランテを探すことにした。

そのまま二の丸御殿中庭を進んで行くと、51年型 アルファロ メオ 6C2500SS ヴィラ・デステ、57年型 オスカ 187S、62年型 ランチア・フラミニア・トゥーリング・コンバーチブル、61年型 アストンマーチン DB4、62年型 マセラティ 3500GTなどなど、動く芸術作品、国宝級のクラシックカーが鎮座ましましているではないか! まったく予備知識を持たず、ただ「ディスコ・ヴォランテが見られる」との虚仮の一念で500kmをバイクで走破してきた筆者は唖然とさせられる。
「本当になんという、なんという、イベントなんだ...」。
二条城の美しい庭園に並んだ歴史的名車の数々を前に『コンコルソ デレガンツァ 京都 2018』が凡百のクラシックカーショーとはまるで格が違うことを思い知らされる。

会場には77年型 ランボルギーニ・カウンタック LP400や71年型 ランボルギーニ・ミウラ SVなどの一般受けしそうな"わかりやすい名車"も数台並んでいるし、開催国枠扱いなのか52年型 ダットサン・スポーツDC3や60年型 フェアレディ1200も並んではいたが、芸術性や歴史的価値、希少性から言えば、とてもではないが比べられるような存在ではない。ほかのイベントなら王様扱いされるこれらのクルマも、この会場では前者はトヨタ・スープラや三菱GTO程度の存在感しかないし、後者に至っては歴史や希少性こそ認められるものの、芸術性やエンジニアリングという観点からほかの展示車と比べればトラックのようなものだ。(オーナーさん、本当にごめんなさい)。

ここで遅まきながら展示車の多くはカロッツェリア・トゥーリングが手掛けたクルマだということに筆者は気がついた。どういうことなのかと受付でもらった資料に目を通すと、「一昨年秋に開催された第1回ではテーマを設定していませんでしたが、2回目となる今回は特別企画としてカロッツェリア・トゥーリング・スーパーレジェーラをテーマにします」と書かれていた。恥ずかしながら筆者はディスコ・ヴォランテのことで頭がいっぱいで、会場に来るまでテーマを知らなかったのだ。だが、イタリアには星の数ほどコーチビルダーが存在する。数ある工房の中からなぜトゥーリングが選ばれたのであろうか?

Hugh Hamilton ©2010 Courtesy of
20~50年代に栄華を極めた
カロッツェリア・トゥーリング


ピニンファリーナやベルトーネ、ザガートなどに比べると日本での知名度はあまり高くはないが、カロッツェリア・トゥーリングはその美しいスタイリングとスーパーレジェーラ(超軽量)構造で一時代を築き上げたイタリアのカロッツェリアである。

同社はイタリアの高級車メーカーのイソッタ・フラスキー二でテストドライバーを務めたのち、プジョー社のイタリア代理店を運営していたフェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニの手によって1926年にミラノに設立された。母体となったのは前年に設立されたカロッツェリア・ファルコで、アンデルローニの友人であるガエターノ・ポンゾーニとともに株式を買収。トゥーリングと改名してポンゾーニが経営の実権を握った。ファルコがアルファロメオやシトロエン・イタリア工場、イソッタ・フラスキー二と商取引があったことから、初期のトゥーリングもこれらのメイクスの車両を手掛けることになる。

カロッツェリア・トゥーリングはアルデローニの意向もあり、デザインスタジオでありながら技術志向が強く、フランスから羽布張り軽量フレームのチャールズ・ウェイマン方式のパテントを導入。それを発展させ、チューブフレームと軽合金(アルミニウムやマグネシウム)のボディを被せたスーパーレッジェーラ(超軽量)方式を開発した。この車体構造は軽量かつ強度を合わせ持ち、さまざまな形状のボディを製造できる多様性を持っていた。この方式で生み出された同社の代表作には、アルファ ロメオ 8C2900(1931年)、BMW 328(36年)、フェラーリ 166MM バルケッタ(48年:上の写真)、ランボルギーニ 350GT(64年:下の写真)、ジェンセン・インターセプター(66年。製造はヴィニャーレが担当)などがある。

大戦終結後、アルデローニの息子であるカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニ(チッチの愛称で知られる)がトゥーリングの経営を引き継ぎ、スーパーレッジェーラ方式を他社にライセンス提供することで隆盛を極めることになった。


自動車産業の構造変化により廃業
そして21世紀の復活劇


しかしながら、栄光の日々は長くは続かなかった。60年代に入ると量産車を中心に自動車の車体はフレーム構造からモノコック構造へと変化する。それと前後して車体製造もメーカーが手掛けるようになり、フレームに車体を架装するコーチビルダーの仕事は減って行った。ウリであるスーパーレッジェーラ方式もモノコックボディにはその技術を活かすことができず、車両デザインの仕事も大手のピニンファリーナやベルトーネとの競合に破れて、トゥーリングは次第にジリ貧となり、66年にカロッツェリアを解散(倒産ではない)する。従業員の多くはカロッツェリア・マラッツィへと移籍し、そこでランボルギーニのボデイ製造を続けた。いっぽう、チッチ自身はアルファロメオに再就職してデザインアドバイザーとして活躍することになる。

だが、その後もチッチはトゥーリングを復活させるという夢を捨て切れなかったようで、95年にザ・インターナショナル・カロッツェリア・トゥーリングの名称で会社を再登記した。そして、欧州最古のカー・コンクールであり、49年を最後に長らく開催されていなかった「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の復活に尽力し、同イベントではトゥーリング製の車両を対象としたカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニ記念トロフィーを設けた。03年に亡くなるまでチッチは審査委員長を務めている。
21世紀に入ると国際的な自動車関連企業のゼータ・ヨーロッパ・グループがカロッツェリア・スーパーレッジェーラのブランドと商標を取得。デザインスタジオと試作車の開発・製造業務を再開する。新生トゥーリングが最初に手掛けたクルマは、08年に発表したマセラティ・クワトロポルテをベースにしたスポーツワゴンのベラッジオ・ファストバック・トゥーリングで、それ以降もマセラティ A8GC ベルリネッタ(09年)、ベントレー・コンチネンタル・フライングスター・トゥーリング(10年)アルファ ロメオ・ディスコ・ヴォランテ 2012ミニ・スーパーレジューラ・ヴィジョン(14年:下の写真)、アルテガ・スカーロ・スーパーエレクトラ(17年)などのコンセプトカーやプロトタイプを製作している。


カロッツェリア・トゥーリングが
テーマに選ばれたのはなぜか?


なるほど見えてきた。前述の通り、『コンコルソ デレガンツァ 京都 2018』はイタリアのヴィラ・デステをお手本にしている。となれば、トゥーリングの業績とチッチの晩年の取り組みを考えれば、初めての特別企画にトゥーリングが選ばれるのも納得だ。

ただ、残念ながら日本でのトゥーリングの知名度はさほど高くない。しかも、主催者側の美意識からなのか、車両の詳細を記した説明書きやイベントのテーマを綴った看板なども会場にはなかった。つまり「このイベントが重視しているのはあくまでも展示車両の芸術性。テーマは展示車両から読取れて当然であって、その程度の知識も教養もない人間は勝手にしろ」というわけである。

たしかに、ペブルビーチやヴィラ・デステなら来場者も"わかっている"人間ばかりなのでそれで問題がないかもしれないが、ここは観光地の京都で、来場者の半分くらいは現地でイベントを知って入場してきた観光客である。そこまでのリベラルアーツを要求するのは些か酷だったかもしれない。実際に人だかりを集めているのはトゥーリング製の車両ではなく、先ほども述べた通りスーパーカーとして知名度の高いカウンタックやミウラのほうだった。

このあたりは判断が難しいところで、静謐な佇まいの丸御殿中庭に芸術性の高いクラシックカーを配した美の共演に、無粋な看板をあちこちに立ててはせっかくのアーティスティックかつノーブルな雰囲気が台無しになるし、イベントとしての格も下がってよくある街おこしの旧車ショーに堕してしまうだろう。
さりとて、一般の来場者にもある程度のわかりやすい配慮がなければ、ファン人口は増えず、これ以上のイベントの広がりもないだろう。落としどころとしては知識を持つコンダクターによるギャラリーツアーのようなものを開催するあたりであろうか。

明日掲載予定の第3回へ続く!



37年型ブガッティ・タイプ57 ヴァントー

1934〜40年にかけて生産されたブガッティを代表する高級車であり、同社の最多生産モデル。
設計は同社の創業者であるエットーレ・ブガッティの長男のジャンが担当した。美しいスタイリングは芸術家としての顔を持つ彼の手腕によるところが大きい。

タイプ57は戦前の高級車には珍しくボディの架装まで自社で行われたことが大きな特徴で、さまざまなボディバリエーションが製作された。

なお、トヨタ博物館が収蔵する2ドアクーペのT57Cアトランテ、河口湖自動車博物館が収蔵するクーペ・アトランティックの精巧なレプリカほか、個人所有車を含めて数台のタイプ57が国内に存在する。
展示車両は標準仕様となった2ドアクーペのヴァントー。アール・デコの美を体現した走る彫刻である。


26年型 フィアット 509 デルフィーノ

1925年にフィアットが発表した4人乗り小型大衆車の509をベースに、弱冠16歳の板金職人・アクアーディ・アルフレードが製作したワンオフマシン。スタイリングは魚をモチーフに1枚の鋼板を叩き出してボディを製作した。鱗のように見えるのはすべてハンマーによる手仕上げだ。アルフレードは当時のフィアット社長だったエドアルド・アニエッリに「ミラノ国際展覧会の職人のコンテストにこのクルマを出品して欲しい」と直訴し、その願いが叶えられて見事同コンテストで優勝している。


62年型 ランチア・フラミニア・トゥーリング・コンバーティブル3C

アウレリアの後継車として1957年に発表されたランチアの高級車・フラミニアは、イタリアでは大統領の公用車としても用いられたプレステージカーである。技術志向の強いランチアらしく、同社のお家芸であり、当時としては珍しかったV6エンジンを搭載。足回りはフロントにダブルウィッシュボーン式、リアにドディオン式を用い、ギアボックスとデフを一体化してリアに配置したトランスアクスルを採用するなど、当時としては先進的なメカニズムが採用されていた。また、同車はピニンファリーナやトゥーリング、ザガートなどのコーチビルダーによるクーペやコンバーティブルなどのスペシャルモデルが製作されたことでも知られている。

今回展示された62年型ランチア・フラミニア・トゥーリング・コンバーティブルは、59年にトゥーリングがデザインしたGTのスタイリングを引き継ぎつつ、3連キャブレターを備えた性能向上版である。翌63年からはOHVの弁機構はそのままに排気量を2.5Lから2.8Lに拡大した。


62年型ランチア・フラミニア・コンバーティブル2.5

こちらは上記のコンバーティブル3Cとは異なり、シングルキャブレター仕様。トゥーリングが手掛けたボディは共通となる。


62年型ランチア・フラミニア 2500GT 3C

ベルリーナ(セダン)に続いてフラミニアシリーズで2番目に作られた2座スポーツクーペ。開発はジャンピエロ・ペゼンティが担当した。59年のデビュー後、62年からは3連キャブレターを備えた性能向上版の3C GTと同コンバーティブルが製造された。のちに4座タイプも追加されている。

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【第1回】『コンコルソ・デレガンツァ 京都 2018』アルファ ロメオの空飛ぶ円盤を見に京都へ(千葉からスクーターで)行く