【第1回】『コンコルソ・デレガンツァ京都2018』アルファ ロメオの空飛ぶ円盤を見に京都へ(千葉からスクーターで)行く
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歴史的に稀少なクラシックカーが
京都・二条城で特別展示


2018年3月30日(金)~4月2日(月)にかけて、世界文化遺産に指定された京都の元離宮二条城にて世界最高峰のビンテージカーが一堂に介する特別展覧会『コンコルソ・デレガンツァ 京都 2018』が開催された。

このイベントは一昨年秋に初めて開催され、今回が2回目となる。会場となったのは二条城の中でも普段は非公開エリアとされている二の丸御殿中庭だ。この場所を会場にイタリアを中心にイギリスやフランス、日本の歴史的な名車27台が展示された。

『コンコルソ・デレガンツァ』とは「エレガンスを競うコンクール」という意味のイタリア語で、その名の通り、世界の2大クラシックカー・コンクールとして知られる『コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ』と『ペブルビーチ・コンクール・デレガンス』を手本に、桜の季節に古都・京都の二条城を会場とすることでジャパンオリジナルのコンクールであることをアピールしている。

イベントの最初の3日間は、歴史的な名車を柵のない会場でオーディエンスに間近で堪能してもらういっぽうで、前述のクラシックカー・コンクールの審査員や欧米のクラシックカー専門のジャーナリスト、一般の来場者による投票で審査が行われ、最終日には審査結果の発表とアワードの授賞式、名車のオーナーたちによるフェアウェルパーティーが行われた。


欧米では絵画や彫刻などのアートや、伝統工芸と同じように自動車の芸術性を鑑賞するという文化がある。それはクルマが単なる移動の道具という存在を超えて、エンジニアリングやボディフォームなどひとつひとつの構成要素がデザインと技術力の粋を極めた結晶であるからだ。そうしたクラフトマンシップや優れた技術を讃える文化が現在でも欧米社会に息づいている。『コンコルソ・デレガンツァ 京都 2018』は、そうした欧米の自動車文化の根底に流れるものと共通の価値観を持った、わが国では大変稀少なイベントと言えるかもしれない。

このイベントの仕掛人は、観賞魚とアートを融合させたアートアクアリウムという新たな空間芸術を創作したプロデューサーにして、京都国際観光大使も務める芸術家の木村英智氏だ。彼はアートの分野で活躍するだけでなく、10年から毎年春に開催されるクラシックカーイベントの「ジャパン・クラシック・オートモービル」の主催者としても知られるエンスージアストである。


C52ディスコ・ヴォランテ
が京都に来た!


筆者がこのイベントを知ったのは、31日の朝にオンエアされたNHKのニュース番組を見たからだ。朝食を食べながらぼんやりとテレビを見ていると京都・二条城が映し出され、リポーターは「今日(31日)から来月2日にかけてクラシックカーイベントが開催されます)などと紹介している。

「ご当地イベントのクラシックカーショーか何かかな?」と思い、たいして気にも留めずにテレビそっちのけで食パンにかぶりつく。だが次の瞬間、画面に映し出されたのは日本にあるハズのない真っ赤なクラシック・アルファ。見間違えるはずのない宇宙船を思わせる特徴的な流線型のシルエット。あれはひょっとして‥‥間違いない。「C52 ディスコ・ヴォランテ!」と食卓を立って思わず叫んでしまう。その瞬間、くわえていたパンは万有引力によって床に落ちる。有名な「落としたトースト」の法則に従ってバターを塗った面を下に向けて‥‥。


アルファ ロメオ 1900 C52 ディスコ・ヴォランテとは、カロッツェリア・トゥーリングが1952年に発表したプロトタイプ・レーシングカーだ。イタリア語で「空飛ぶ円盤」の名前が与えられたこのクルマは、戦後初のアルファ ロメオ製量産車・1900シリーズのメカニカルコンポーネンツを流用し、チューブラフレームのシャシーに空力的に洗練された流線型のボディを与えたモデルだ。

搭載されるエンジンは1900 ベルリーナ用の1997cc直4DOHCをチューンしたものを搭載。最高出力は158psを発揮し、最高速度は220km/hにも達した。

だが、当時はCAD(コンピューター支援設計)などがない時代のこと。空力の追求はデザイナーの感と経験に頼るほかなく、テスト車両を風洞実験にかけたところ思ったほどの空力効果が得られないことも珍しくはなかった。

結論から言えば、C52 ディスコ・ヴォランテは失敗作であった。単なる流線型から一歩前進し、翼のように張り出したフェンダーを車体側面に奔るラインで繋げることでホイールを隠し、空気抵抗の低減と整流効果を狙ったのだが、過ぎたるは猶及ばざるが如し。空力の極限を追求したはずの流線型のボディは、高速走行時に車体がリフトして操縦安定性の悪化を招き、異様に張り出したフェンダーはタイヤ交換の妨げとなるなど、およそ実戦向きの車両とは言えなかったのだ。

結局、サーキットで活躍したアルファ ロメオは、カロッツェリア・コッリが手掛けた6C 3000CMのほうであり、C52 ディスコ・ヴォランテはほとんど実戦に投入されることなく、レーシングカーとしては短い生涯を終えている。

ラインオフしたディスコ・ヴォランテは、クーペ1台、スパイダー3台のわずか4台。スパイダーのうち1台は『夜ごとの美女』や『ソロモンとシバの女王』などに主演し、50~60年代の映画界で活躍した女優のジーナ・ロロブリジーダの手に渡ったが、納車初日に直線路で宙を一回転する事故を起こした。彼女はこの事故から無事生還し、90年代まで芸能界で活躍した。いっぽう事故を起こしたディスコ・ヴォランテも修復され、現在はFCAヘリテイジの1台として大切に保管されている。


イタリアには行けないが
京都なら行ける!


現存するすべてのC52 ディスコ・ヴォランテは国外にある。今回、『コンコルソ デレガンツァ京都2018』に展示された世界で唯一のクーペボディはアレーゼにあるアルファ ロメオ博物館の所蔵車である。過去に1度、2004年に開催された日本版ミッレミリアに参加するために来日したことがあったが、残念ながら筆者は実車を見る機会を逸してしまった。

大のイタリア車好きで、67年型の段付きジュリアを所有するアルフィスタの筆者であるが、残念ながらイタリアは愚か、ヨーロッパの渡航経験はない。海外に行ったのはデトロイトショー取材で北米に1回、ミリタリー誌の仕事とプライベートで韓国に3回行っただけだ。

筆者がこの世界に入ったのは90年代末のこと。それから20年で自動車雑誌の売れ行きは右肩下がりとなり、海外取材はおろか、箱根の山を越えて取材に行くことすら難しくなった(最近はもっと酷くなって経費削減のため、撮影はお台場で済ます媒体が増えている)。売れっ子のセンセイなら海外試乗会に招待されることもあるのだろうが、筆者のような万年底辺ライターにそんな機会が回ってくることは未来永劫金輪際ない。外国へ行くなら当然自腹だ。だが、2台の愛車とバイクを維持するだけで生活は火の車。とてもじゃないが、海外旅行へ行くような金銭的な余裕はない(仕事が少ないので時間的余裕はあるゾ)。死ぬ前に1度はアルファロメオ博物館を見学したいものなのだが...。

そんな窮々とした生活の中で振って沸いたこのチャンス。この機会を見逃したらもう2度とC52 ディスコ・ヴォランテの実車を拝む機会はないかもしれない。イタリアは無理でも京都なら何とか行けるかもしれない。

しかし、今月は原稿料支払いの谷間の月。おまけに、先月はバイトのシフトを入れてくれなかったから収入がほとんどない(扱いがあんまりひどいので結局辞めた)。貯金も底を尽き、月末の自動車ローンの支払いすらヤバいのにどうしたものか...。ええい、知ったことか。シャア大佐だって「チャンスは最大限に活かす。それが私の主義だ」と言っていたではないか。カネがないなら借金だ。

思い立ったらすぐに行動するのが筆者の良いところである。とりあえず、親・兄弟・知人に頭を下げて旅費として3万円を確保。京都まではすっかり使い込んだグランドマジェスティで行くこととし、時間がないので往路は高速を使うが、復路は節約のため下道を使うこととし、0泊2日の強行軍でディスコ・ヴォランテの待つ京都へ向かうことにした。


明日掲載予定の第2回へ続く!


39年型 アルファ ロメオ 6C2500SS スポーツベルリネッタ

高級車やスポーツカーのヒットにより欧州で確固たる地位を築き上げたアルファ ロメオであったが、1929年の世界大恐慌によって経営難に陥った。そんな同社を救ったのがときのファシスト政権だった。ミラノに政治基盤を置いていたムッソリーニの肝煎りでイタリア産業復興公社(IRI)の傘下に収まったアルファ ロメオは、新たに経営責任者となったウーゴ・ゴッバートの指揮の下で工場や組織を再編し、新モデルとして6Cシリーズを開発する。


展示車のスポーツベルリネッタはカロッツェリア・トゥーリングがコーチビルドを担当したモデルで、39年のベルリンモーターショーでカブリオレとともに発表された。このクルマは6Cシリーズの中でも全長の短いスポーツタイプであり、トゥーリングお得意のスーパーレジェーラ方式でボディを製造している。前モデルの6C 2300MMとは異なり、30年代後半からの流行であるフェンダーの中にヘッドランプがビルドインされたスタイリングを採用している。

製造番号915045が与えられた展示車は、ローマ教皇を輩出した名門貴族・カエタニ家が新車で購入し、王子のカミッロ・カエタニの愛用したもの。戦後は4回オーナーが変わったが、1980年代にミラノのロブレスコレクションの収蔵車となるまでずっとローマにあった。



39年型 フィアット 1500 6Cトゥーリング

1939~48年にかけた製造されたフィアットのミドルクラスサルーンをベースに、カロッツェリア・トゥーリングがスーパーレジェーラ方式で製作した美しいボディを架装した車両。特徴的なフロントマスクは「閉じた船首(a prua chiusa)」と呼ばれる。左右に分かれた巨大なインテークが目を引く。


この車両は90年代後半まで長い間存在を忘れられていたが、カロッツェリア・トゥーリングの創始者の息子であり、2代目経営者となったカルロ・ビアンキ・フェリーチェ・アンデルローニ(チッチ)によって救い出され、入念にレストアが施された。

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