2008年6月に購入したヤマハ・グランドマジェスティが10万kmを走破。2015年4月のエンジントラブルから復活後、16年4月に発生した熊本地震では現地取材に活用した。40kgを超える荷物を載せ、往復3000kmを超えるハードな取材でも音を上げない、筆者にとってはタフな相棒である(写真:水・食料・キャンプ用具・取材道具・ガソリン携行缶、そして支援物資など40kgの荷物を積載して単車で熊本へ赴いた。これだけ大量の荷物を抱えて往復3000kmの距離を走破したのは、さすがのグランドマジェスティでも肉体的な負担が大きかった)

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【第1回】ヤマハ「グランドマジェスティ250」で10年10万kmを走破した!

【第2回】深刻なトラブル発生!

【第3回】壊れたエンジンを載せ替えて復活!


修理完了から7カ月後に発生した
熊本地震の取材でも活躍


修理が完了したグランドマジェスティは、新品のクランクシャフトやピストンを使ってエンジンをオーバーホールしたこともあり、急のつく操作は避け、一般道ではレブリミットを5000回転に設定して1000kmの慣らしを行うことにした。だが、筆者にとってはあくまでもアシである以上、趣味車のように猫可愛がりすることはできない。15年9月9〜11日にかけて発生した関東・東北豪雨の取材で茨城県常総市を訪れたのを皮切りに、仕事にプライベートにと再び活躍している。

中でも2016年4月14に発生した熊本地震取材では、グランドマジェスティの長所が如何なく発揮されることになった。

震災から1週間後の21日から5泊6日の予定で被災地を取材することになったのだが、現場から遠く離れた関東では、新聞やテレビの報道や真贋が疑わしいネットの情報から現地の状況を伺い知るほか手段がなかった。ただ、被災地では道路が各地で寸断され、幹線道路に慢性的な渋滞が発生していることと、物流がストップしているために水や食糧を含む物資が不足していることは予測できた。

そこで震災取材にはクルマではなく、機動力があり燃費の優れたグランドマジェスティで向かうことにしたわけである。

滞在に必要な食糧と水(福岡市内で調達)、テントなどのキャンプ用具、着替えなどの生活用品、雨具、冬用のダウンジャケット、ガソリン(10L携行缶)、パソコンやカメラ、ICレコーダーなどの取材道具などを用意し、それにわずかながらも被災地支援のために救援物資を積み込むことにした。

救援物資は東日本大震災のボランティアの経験から避難所で子どもたちの読む漫画本や絵本(知人に協力して集めた)と、ネットの情報から携帯コンロのガスボンベを空いたスペースに詰めるだけ積むことにした。総重量は40kgにも及び、パッキングに非常に苦労したが、なんとか車体にくくり付けることができた。


(写真:5泊6日の熊本取材の間、天候に恵まれたのはわずかに2日のみ。あとはずっと雨だった。とくに往路は土砂降りで本当に辛かった)

40kgの荷物を抱えての
雨の中の長距離移動


千葉から熊本までの距離は片道1200kmもある。さすがのグランドマジェスティでも、この距離を1日で走りきることは無謀と言うしかなく、初日は福岡で1泊し、2日かけて移動することにした。

往路は名古屋までは順調だった。過積載での高速移動はエンジンに相当な負荷が掛かったはずだが、坂道ではやや力不足を感じるもののG338E型250cc単気筒DOHCエンジンは文句ひとつ言わず、淡々と高速道路を走って行く。高剛性のアルミフレームとロングホイールベース、優秀なカウリングの効果もあってか移動は思いのほか快適であった。

だが、第二名神を滋賀に入ったあたりから雨がぽつりぽつりと降り出してきた。しかも、4月下旬だというのに震えるほど寒い。念のためにと持ってきた分厚いダウンジャケットを合羽の上に羽織って移動する(厚みのためインナーとして着ることができなかった)。

大阪を抜ける頃には雨はすっかり本降りとなっていた。ダウンジャケットには軽く防水スプレーを吹いて来たのだが、この頃になると効果はとっくになくなっており、縫い目から雨水が染み込んでくる。ホームセンターで買った安物の合羽にも若干雨が染み込み、濡れた身体から冷たい走行風が容赦なく体温を奪って行く。しかも、山陰道に入ると風も強まり、荷物満載のグランドマジェスティは横風に煽られる。山陽道は東名や名阪に比べて鋪装状態も悪く、バイクでの移動にはなんとも辛い状況である。

そんな苦難を乗り越えて17時間かけてやっと福岡に到着。悪天候の中の長距離移動で精も根も尽き果てた筆者は宿(と言っても格安のカプセルホテル)にチェックインすると、そのままベッドに転がり込んだ。


(写真:2度に渡る激震によって深刻な被害を受けた熊本城)

地震で傷ついた熊本県内を
グランドマジェスティで走る

翌4月22日、前日の疲れからチェックアウトの時間スレスレに目が覚めた筆者は、急いで身支度を整えて出発。福岡市内で必要な買い物を済ませてから現地入りする。

マグニチュード6.5と7.3の2回の激震に立て続けに襲われた熊本市内の様子は悲惨だった。市内のあちこちでは倒壊した建物が見られた。文化財の被害も深刻で熊本のシンボルである熊本城は、天守閣の屋根瓦が崩れてしゃちほこが落下し、重要文化財の東十八間やぐらと北十八間やぐらが倒壊し、隣接する熊本大神宮の社務所を押し潰していた。

交通網の被害も甚大で、土砂崩れにより熊本県内の国道・県道は各地で寸断され、南阿蘇村では阿蘇大橋が崩落。九州自動車道は植木インター~嘉島ジャンクション間は一般車両の通行が2週間以上も規制されたほか、鉄道や空港も被害を受け、熊本空港は営業再開までに3日、新幹線は全線開通まで13日も待たなければならなかった。


(写真: 崩落した南阿蘇大橋の現場を東海大阿蘇キャンパス側から臨む)

また、過去の大規模災害とは異なり、熊本地震はクルマという存在が大きくクローズアップされた大規模災害でもあった。熊本市の中心部を除き、熊本県は電車やバスなどの公共交通機関が貧弱で、クルマがなければ生活ができない地域である。幸いにも東日本大震災のような津波による被害がなかったこともあり、県内を奔る国道3号線や国道57号線などの幹線道路は地震で傷ついたものの道路機能は辛うじて維持された。

その結果、自宅を失った被災者はクルマで避難し、支援物資の受け取りにもクルマを使う。そして、さまざまな事情から避難所への入居を諦めた被災者は、クルマをシェルター代わりにした車中泊での生活を選んだのである。だが、避難生活が長引く中、車中泊避難者の間でエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)を発祥させる人が急増し、震災関連死の死因のトップとなった。

筆者はそんな地震で傷ついた熊本県内をグランドマジェスティで走り、できる限り多くの被災現場を周り、可能な限り多くの人たちに話を聞いた。復旧作業に当たる自衛官、自治体職員、インフラ関連の作業員、被災した住民のみなさん、各地から集まったボランティア、地元の自動車関連業者などなど、さまざまな人に取材を行った。その中でも印象深かったのは、道の駅で車中泊避難を続けている親子連れだった。シェルター代わりに使っているミニバンの中は、生活必需品や家財道具で溢れており、ゆっくりと身体を休めるスペースは残されていなかった。これではエコノミークラス症候群を発症するのも無理からぬことだと実感した。


(写真:倒壊した南阿蘇村の民家。余震が続く中で被災住宅の後片付けもままならず、震災一週間後もまったく手つかずの状態だった)

現場取材で力を発揮する
グランドマジェスティ


こうした被災地のリアルな状況は遠く離れた東京では絶対にわからない。だが、(当時寄稿していた某カー雑誌の)出発前の編集会議では、デスクをはじめとした編集部員からは「熊本でウチの本の定期購読申し込みは20件くらいしかない。そんなところに取材に行っても部数に繋がらない。何の意味があるのか」とか「東京で取材すれば充分だろう。現地に時間とカネを掛けて行く意味が分からない」などの批判を受けた。しかし、取材者は徹底的に現場主義で臨まなければ、良い記事を書くことはできないし、必要な情報を読者に届けることはできない。ケツで椅子を磨くばかりが記者やライターの仕事ではないだろう。結果としてカー雑誌・一般誌を含めて被災地での交通・自動車をメインテーマとして震災リポートを書いたのは筆者だけであった。そうした意味からも熊本取材は行って正解だったと思っている。


(写真:1階部分が倒壊した南阿蘇村のアパート。建物の周りには激震により、横倒しになった軽自動車がそのまま放置されていた)

40kgにも達する荷物を満載しての往復2400kmの移動し、現地ではテント生活を送りながら約1週間の取材により、この取材での走行距離は3000kmを超えた。このようなハードな取材活動においてもグランドマジェスティはへこたれることなく、良き相棒として活躍してくれる。

二輪車で10年・10万kmというと製品寿命をほぼ全うしたものと一般には考えられるかもしれない。しかし、1万km前にエンジンをオーバーホールしたこともあって、筆者のグランドマジェスティはまだまだ元気いっぱいだ。

グランドマジェスティは250ccが2007年、400ccも16年に生産を終了しており、筆者の愛馬もすっかり古いモデルとなったが、もともと完成度の高いモデルということもあって、実用性、走行性能、経済性、耐久性のいずれも不満を感じてはいない。

距離が伸びたことで足廻りやブレーキ廻りなど、近いうちに大掛かりなメンテナンスが必要になりそうだが、今のところ乗り換える予定はない。あと最低でも6万km、できれば20万kmは乗ってやりたい。


(写真:道の駅で車中泊避難を続ける被災者のミニバンを見せてもらう。車内は生活必需品や家財道具がいっぱいで身体を横にして休めるスペースは残されていなかった。被災者の間でエコノミークラス症候群が多発したのも無理駆らぬことだと思った)


(写真:取材を終えて福岡市内に戻って。最終日になってやっと天候が回復。このあと再び1000km以上を走って千葉へと戻った)


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【第1回】ヤマハ「グランドマジェスティ250」で10年10万kmを走破した!

【第2回】深刻なトラブル発生!

【第3回】壊れたエンジンを載せ替えて復活!