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「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」で見かけた有名人


ラ・フェスタ・ミッレ・ミリアには、自動車愛好家として知られる有名人の姿も見られた。

歌手でありレーサーでもある近藤真彦氏がステアリングを握るのはアルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー。
イタリアの名門アルファ・ロメオは、第二次世界大戦前には高性能スポーツカーや超高級車を少量生産し高価格で販売していたが、戦後になると量産車メーカーへの転身を余儀なくされる。そして誕生したのが1954年発表のこのジュリエッタだ。

その名前はイタリアのヴェローナを舞台にしたシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」に因んで付けられた(イタリア語では「ロメオとジュリエッタ」となるわけだ)。
クーペ版であるスプリントのボディはベルトーネがデザインと制作を担当したが、スパイダーのそれはピニンファリーナによるもの。1.3リッターエンジンはオールアルミの直列4気筒DOHC。当初は65馬力、高性能版のヴェローチェは90馬力を絞り出し、最高速度は180km/hにも達した。量産車となっても高性能はなくさなかった。
近藤氏自身が所有するこのジュリエッタ・スパイダーは、バンパーが外されレーシング・スクリーンやドライビングスポットが取り付けられるなど、レーシィなモディファイが多数散見できる。

Gallery: heart-throbs in LaFestaMilleMiglia


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クラシックカーで1600kmを走る!「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」


今年も「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」が10月10日から13日の4日間に渉って開催された。12日には栃木県ツインリンクもてぎに到着。100台を越えるクラシック・スポーツカーがロードコースを疾走した。

本家ミッレ・ミリアはイタリアの伝説的な街道レース。北部の都市ブレシアから南下しローマを経て再びブレシアに戻るという約1000マイル(約1600km)の距離を、タッツィオ・ヌボラーリスターリング・モス等グランプリでも有名なドライバー達が競い合った。 1000マイルをイタリア語でmille miglia(ミッレ・ミリア)ということからこの名が付けられたレースは、1927年から開催され第二次大戦による中断を挟んで1957年まで続いたが、この年、観客を巻き込む大事故が起こり以降の開催は中止となった。 1930年、イタリアの荒れた一般道をヌボラーリは平均時速100km/hを越えるスピードで駆け抜け、戦後の1955年にはモスがメルセデス300SLRで1000マイルをわずか11時間弱で走り切った。

Gallery: ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア

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トヨタ ハチロクの魅力おさらい


群馬県の伊香保近辺で開催された「第8回クラシックカーラリーミー ティング」には、さすが地元だけあってあの有名な「ハチロク」も姿を見せていた。
RSワタナベと思しきホイールやカーボン ファイバーのボンネットも凛々しく、その「パンダカラー」のボディはとても四半世紀前の物とは思えないほど、そして毎日配達で使用されて いるとは信じられないほど美しかったことが印象的だ。

この「ハチロク」-1983年発売のトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノにツインカム・ユニットを搭載したスポーツモデル、型式番号AE86、だから通称ハチロク-は現在でも非常に人気が高く、状態の良い個体には往時を 越える値段が付けられることもある。 現在40歳前後で、若い頃にクルマ好きだった人たちの中には、運転免許を取得して最初に手に入れたクルマがこの「ハチロク」だったという人も少なくない。
そして彼らの中には、初めて雪が降った日に出勤する途中、道路で横を向いてしまったという九死に一生体験を持つ者もいるはず。

そんな「簡単に後輪が 滑る(滑らせることができる)」のがこのクルマの魅力の1つであったことを含め、以下で仕様をおさらいしてみよう。

Gallery: トヨタ FT-86 コンセプト

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フィル・ヒルが乗ったジャガーC-TYPEがペブルビーチでオークションに


フィル・ヒルのジャガーC-TYPE 1952年モデルの高解像度ギャラリーは下の画像をクリック

来月、カリフォルニア州のペブルビーチで行われるオークション、『Sports & Classics of Monterey』に、すごい車が出品される。まさに「伝説」を手に入れるチャンスだ。このオークションには、新型「グランド・ベントレー」がお披露目されることが大きな注目を集めているが、話題性ではこちらも負けてはいない。なんと、ブガッティの創業者、エットーレ・ブガッティ氏が所有していた「タイプ57C」「Miller V16」、そして伝説の「ジャガーC-TYPE 1952年モデル」が売り出されるというのだ。

Gallery: 1952 Jaguar C-Type #XKC-007 ex-Phil Hill

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1957年型アストンマーティンDBR2が復活


リズクオート社の1957年アストンマーティンDBR2の高解像度ギャラリーは、下の画像をクリック

現在のテクノロジーを駆使し、かつクラシックな外観を持つ車を作り出せる本物のメカニックは数少ない。これまでいくつかのファクトリーで製作されてきたクリエイティブのスポーツ・スペシャルガルウィング・アメリカの300SL パンアメリカ、そしてユエ・ブラザーズのHBスペシャルは、どれも我々を魅了してきた。そしてここにまた1台、素晴らしい車が生まれた。アリゾナ州フェニックスにあるリズクオート社製作の1957年型アストンマーティンDBR2だ。

Gallery: Rizk Auto recreation 1957 Aston Martin DBR2

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【ビデオ】在りし日のジェームス・ディーンが交通安全を訴える


ビデオは下をクリック

ジェームス・ディーンが愛車ポルシェ550スパイダーでカリフォルニア州のルート466を走行中、事故死したのは有名な話だ。ディーンは事故当日にスピード違反で切符を切られており、事故時にはかなり無茶な運転をしていたという話がまことしやかに伝わっている。しかし、後の調査により、スピードは法定速度内だった時速約88kmだったことが判明している。

すでにハリウッドのスーパースターになっていたディーンだが、映画『ジャイアンツ』(彼の死後、1956年に公開)の撮影の合間をぬって、公共広告用の映像を収録している。これはワーナーブラザース提供の番組中に放送予定だったものだ。内容はハイウェイでスピードを出すことの危険性を唱えたもので、ディーンは「スピードを出すのは一般道ではなく、レース場で」と訴えている。「君の安全運転が救う命は、ひょっとして俺の命かもしれないぜ」。このインタビューの締めくくりの言葉にはゾクっとさせられる。撮影後すぐに亡くなったため、この映像が放送されることはなかったとか。下をクリックしてその2分間の映像を見てみよう。

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【ビデオ】サーブ95の居住空間はまさにファーストクラス!


1961年型サーブ95のTVコマーシャルは下のビデオをクリック

古き良き60年代、車を所有することは家族の夢であった。そんな時代に家族で遠出をした時、車中泊が出来るファミリーカーとして人気を博したのがこのサーブ95だ。我々は、この車の広告宣伝用として作られた貴重なお宝ビデオを発見した。

ビデオに登場する95は1961年製だが、古いからと言って昔の"夢の車"の実力を侮るなかれ。ビデオからは、サーブ95が時代を先進しようとする意気込みとアイディアに満ちた車だったことがうかがい知れる。一例をあげよう。当時としては広めのラゲッジスペースを確保し、そこに子ども専用の後ろ向きのサードシートが設けられている。このアイディアは当時、大変ユニークなものであり、現代では、テスラ・モータースが販売を予定しているモデルSが似たような機能をオプションで採用するらしい。また走行性についても、雪道での安定した走りっぷりを見れば、サーブ95が当時大ヒットしたのもうなずける。下のビデオを見て、我々も夢の車の原点を再発見しよう。

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【ビデオ】マックィーンVSハミルトンのレースバトルの結果は?


車好きが想像する夢物語 ―- それは、過去に派手なカーアクションを繰り広げた銀幕のヒーローと現在の人気レーサーの一騎打ち。
もしも夢が現実となったら、一体どちらが勝つのだろうか?その疑問に、長年F1のスポンサーを務めるスイスの時計メーカー、タグ・ホイヤーが一つの答えを出した。

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【ビデオ】記録映像で見る、プレストン・タッカーが手がけた斬新な軍用車両



プレストン・タッカーは、偉大なる革新者だ。子供の頃からの夢をかなえようと自分の会社を立ち上げた彼は、タッカー・トーペードと呼ばれる、リアエンジン、ディスクブレーキを採用した画期的なセダンを51台製造したことでよく知られている。1948年に会社は残念ながら倒産に追い込まれたものの、彼はその前からいくつもの功績を残していた。またタッカーは、さかのぼること1930年代半ば、天才エンジニアの異名を持つハリー・ミラーとタッグを組み、インディ500用のレースカーをデザインしており、この挑戦は、ミラーがこの世を去った1943年まで続けられる。

その後タッカーは故郷のミシガン州へ戻り、アメリカ陸軍が使用する軍用車両のデザインを手がけ始めた。最終的に陸軍では採用はされなかったものの、数多くの斬新なアイデアが詰まったこの車両は海軍の目に止まり、ついにTucker Turretとして生産されることとなったのだ。

下のビデオを見れば、タッカーが考案した軍用車両がいかに優れていたのか理解してもらえるだろう。例えば、交換しやすいようにすべて同じサイズにした防弾ガラス製の窓や、左右別々に調整できるヘッドライト(トーペードのように、ハンドルと連動はしない)、取替えが容易な防弾ラジエーターグリル、ホイールごとに設けられたブレーキなどが装備され、未舗装の道でも時速115mile(約185km)という速さで駆け抜けることが出来るのだ。さあ、ビデオをクリックして、その実力をすぐにでもチェックしてほしい。

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【ビデオ】68年の五輪誘致映像から見えてくるデトロイトの衰退


ビデオは下をクリック

デトロイトの全盛期といえば1950年代だが、世界をリードしていた自動車産業のおかげで、その繁栄は60年代中ごろまで続いた。

この映像は、1968年夏のオリンピック誘致を目指して制作されたと思われる(68年の開催国はメキシコに決定)。 
65年頃に撮影された"Detroit – City on the Moves(発展し続ける街―デトロイト)"に映し出されるのは、絶頂期にあった同市の様子。
わずか44年ですっかり衰退してしまった現在とは、あまりにも対象的な姿である。

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