Hirokazu Kusakabe
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F1ベルギーGP、開催の危機は脱したか?

F1ベルギーGPが開催されるスパ=フランコルシャン・サーキットに、2011年3月までの新たな営業免許が認められた。
スパ=フランコルシャン・サーキットは、有名なオー・ルージュをはじめとする難易度の高い高速コーナーが多く、チャレンジングなコースとしてドライバーの間でも人気が高い。しかし、2007年に地元住民が騒音に対する苦情を申し立てたことを受けて、国家評議会は2026年までサーキットの営業免許停止を命じていた。
ところが騒音被害の訴えは地元住民の総意に基づいたものではなく、「トラック(サーキット)の近くに住む住民の団体」がインターネットのサイト上でレース開催とサーキットを守るための嘆願書に署名を集める活動を行っていたのだ。「トラック(サーキット)の近くに住む住民の団体」は今年の10月19日に署名の募集を開始して現在までに約3万6千人の署名を集めることに成功。
ジャッキー・スチュワートの誕生日に息子ポールが曲をプレゼント

3度のワールド・チャンピオンに輝き「サー」の称号を授与された元F1ドライバー、ジャッキー・スチュワートの70歳の誕生日祝いに、その息子ポールが楽曲を制作し贈った。 それだけなら単なる家族内のエピソードに過ぎないが、あのエリック・クラプトンがギターで参加しているとなれば聴いてみたいという人も多いのではないだろうか。
この「Fly Free」という曲は、AmazonやiTunes Music Storeでダウンロード販売され、その収益金はサー・ジャッキーがチェアマンを務める慈善団体The Grand Prix Mechanics Chartable Trustに寄付される。レース中に怪我したメカニックやピットクルーの治療費などに使われるそうだ。

フェラーリ公認ノートPC、エイサーから発売

今や世界第二位のPCメーカーとなったエイサーから、フェラーリ公認のノートPCが11月27日に発売される。
「Ferrari One」と名付けられたこのモデルは、いわゆるネットブックとノートPCの中間に位置する「Light Note」とエイサーが呼ぶカテゴリーに属す。ボディ・トップは鮮やかなフェラーリ・レッドに塗られ、中央に跳ね馬の盾型エンブレムが埋め込まれている。デカールやペイントではないあたり実車のフェラーリのフェンダーに付くアレと同様だが、さすがに七宝焼ではないようだ。
底面のゴム足にはタイヤのトレッドパターンを模したという溝が刻まれているが、今年からF1はスリックタイヤになっているのはご存知の通り。まあ机の上がウェット状態になりやすい人には心強いかも知れない。
他にもフェラーリの走行シーンがスクリーンセイバーになっていたり、ログイン時にエンジン音が鳴り響くなどの仕掛けあり。
ギャラリーはこちら(Engadget US)
PCのスペックについては続きへ。
ルノーから「ゴルディーニ」の名前が復活!

ルノーは、フレンチ・モータースポーツ・ファンにはたまらない「ゴルディーニ」の名前を復活させると発表した。
まずは小型車トゥインゴをベースにした「トゥインゴ・ゴルディーニRS」を25日に公開、2010年に発売する。その後「クリオ(日本名ルーテシア)・ゴルディーニRS」が続く予定だ。 フィアットをチューンした「アバルト」やミニでお馴染み「クーパー」は日本でも超有名だが、ではゴルディーニとは何者だろうか?

メルセデス・ベンツがブラウンGPを買収、来期は「メルセデス・グランプリ」としてF1参戦

16日、メルセデス・ベンツ(ダイムラー社)はF1チーム「ブラウンGP」を買収し、来期は「メルセデス・グランプリ」の名で参戦することを発表した。
ダイムラーはブラウンGPの株式を45.1%、ダイムラーの筆頭株主であるアブダビの投資会社アーバル・インベストメンツが30%取得。ブラウンGPのロス・ブラウンとニック・フライその他が残りの24.9%の株を維持する。買収金額はダイムラーとアーバル合わせて約1億1000万ポンド(約165億円)とみられている。
現在ダイムラーが保有するマクラーレンの株式40%は、2010年までにマクラーレンによって買い戻されるという。また、マクラーレンに供給されているメルセデス・エンジンは、少なくとも2015年まで供給が続けられる。
最軽量のポルシェ、ボクスター スパイダー受注開始

12月のLAモーターショーで発表されるポルシェ・ボクスター スパイダーの受注が日本でも始まった。
7速デュアルクラッチ式AT「PDK」搭載モデルの価格は913万円。6速MTモデルなら866万円。左ハンドルのみの設定だ。 ベースになったボクスターSと比べ80kgの軽量化と10psの高出力化の代価は114万円となるが、この価格にはオプションのエアコンディショナーは含まれていない。ソフトトップも手動となる。

シトロエンの名車が切手になった「90周年記念フレーム切手」発売

1919年にアンドレ・シトロエンがフランス・パリのセーヌ川ジャヴェル河岸にある工場から最初のモデル「タイプA」を世に送り出して、今年で90年になる。
これを記念してシトロエン・ジャポンは歴代の名車が印刷されたフレーム切手シートを発売。
公式webサイト上で注文受付を開始した。12月6日までの限定販売で、年末には手元に届く。
80円切手(シールタイプ)10枚に2CVやDS、トラクシオン・アヴァンなどお馴染みのモデルがそれぞれ描かれたものが1枚のシートとなって2400円。
「80円×10枚だから・・・」などと計算してはいけない。切手部分の上にはあの有名なエッフェル塔に"CITROËN"の文字を浮かび上がらせた電光広告の写真がレイアウトされ、単純に切手の値段を足した以上の満足感を(少なくとも一部のフランス車エンスーの人たちには)与えてくれるはずだ。
この切手シートに特製ホルダーがセットになった商品にはメモリアルポストカードが10枚付いて5800円。
観賞用に保管するだけでなく実際に切手を郵便物に貼って使用したいという人向けにはシート2枚とホルダー、ポストカードをセットにして7800円とややお得だ。
地元フランス在住のシトロエニストへ送るクリスマスカードに貼れば、喜ばれるだけでなくちょっとした自慢にもなるはず。
世界中どこへ送ってもはがきの航空便は70円。シトロエン切手一枚でおつりが来る。
シトロエン乗りが羨ましい他車乗りの人ならば、日本郵便に頼めばご自分のクルマで切手シートを製作することも出来るが、送られた人が喜ぶかどうかは微妙なところかもしれない。
90年前に生産が開始されたシトロエン・タイプAは、ヨーロッパで最初に大量生産方式によって製造された自動車だった。
10年後の100周年には切手だけでなく、かつてのように画期的かつ独創的なクルマの発表で祝いたいものだ。
141台のルノーが集結!ルノー・スポール・ジャンボリー開催

10月24日、栃木県「ツインリンクもてぎ」で第一回目となる「ルノー・スポール・ジャンボリー」が開催された。
アルピーヌなど歴代のスポーツモデルを含む計141台のルノー車が集結し、サーキット走行によるタイム計測やF1ドライバーのサイン入りグッズが当たるジャンケン大会(笑)などが行われ、会場は大いに盛り上がった。
メインイベントの「ルノー・スポール・トロフィー」には現役GTドライバーの柳田真考選手がクリオ・カップで参加。
ドイツ・ニュルブルクリンクでFF車最速タイムを記録したメガーヌR26.Rとバトルを展開するも、流石プロの技術と意地で、全てのルノー車の中でトップタイムを叩き出して見せた。

「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」で見かけた有名人

ラ・フェスタ・ミッレ・ミリアには、自動車愛好家として知られる有名人の姿も見られた。
歌手でありレーサーでもある近藤真彦氏がステアリングを握るのはアルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー。
イタリアの名門アルファ・ロメオは、第二次世界大戦前には高性能スポーツカーや超高級車を少量生産し高価格で販売していたが、戦後になると量産車メーカーへの転身を余儀なくされる。そして誕生したのが1954年発表のこのジュリエッタだ。
その名前はイタリアのヴェローナを舞台にしたシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」に因んで付けられた(イタリア語では「ロメオとジュリエッタ」となるわけだ)。
クーペ版であるスプリントのボディはベルトーネがデザインと制作を担当したが、スパイダーのそれはピニンファリーナによるもの。1.3リッターエンジンはオールアルミの直列4気筒DOHC。当初は65馬力、高性能版のヴェローチェは90馬力を絞り出し、最高速度は180km/hにも達した。量産車となっても高性能はなくさなかった。
近藤氏自身が所有するこのジュリエッタ・スパイダーは、バンパーが外されレーシング・スクリーンやドライビングスポットが取り付けられるなど、レーシィなモディファイが多数散見できる。
クラシックカーで1600kmを走る!「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」

今年も「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」が10月10日から13日の4日間に渉って開催された。12日には栃木県ツインリンクもてぎに到着。100台を越えるクラシック・スポーツカーがロードコースを疾走した。
本家ミッレ・ミリアはイタリアの伝説的な街道レース。北部の都市ブレシアから南下しローマを経て再びブレシアに戻るという約1000マイル(約1600km)の距離を、タッツィオ・ヌボラーリやスターリング・モス等グランプリでも有名なドライバー達が競い合った。 1000マイルをイタリア語でmille miglia(ミッレ・ミリア)ということからこの名が付けられたレースは、1927年から開催され第二次大戦による中断を挟んで1957年まで続いたが、この年、観客を巻き込む大事故が起こり以降の開催は中止となった。 1930年、イタリアの荒れた一般道をヌボラーリは平均時速100km/hを越えるスピードで駆け抜け、戦後の1955年にはモスがメルセデス300SLRで1000マイルをわずか11時間弱で走り切った。















