「2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮」で展示された貴重な名車をご紹介(国産旧車編)
昨年11月25日(土)、明治神宮外苑聖徳記念絵画館(以下、神宮絵画館)にて『2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑』が開催された。このイベントは一般参加のクラシックカー102台が銀座中央通りをパレードランするほか、神宮絵画館のメイン会場では参加車両の 展示、会場内コースでのデモ走行「クラシックカー・サーキット」などの多彩なプログラムを実施。前回に引き続き会場で展示された車両の中から、今回は筆者の目に留まった国産旧車を紹介して行く。


1966年型 ダットサン ブルーバード

ピニンファリーナによる流麗なスタイリングを採用した2代目ブルーバードであったが、日本市場では特徴的な尻下がりのスタイリングが受けず、デビューから3年後の1966年のマイチェンでヒップラインを水平基調に改めた。

展示車両は411型と呼ばれるマイチェン後の4ドアセダンで、ボディ変更に伴い「鍵テール」と呼ばれた特徴的なテールランプが平凡な形状に変更されている。この個体は新車と見間違うほどコンディションは良く、オーナーに大事にされていることが一目でわかった。



1967年型 日産 シルビア

1964年に開催された第11回東京モーターショー(以下、TMS)に「ダットサン クーペ1500」として出品されたあと、翌65年から発売が開始された初代日産 シルビア。ダットサン フェアレディのシャーシにSUツインキャブを装備したR型1.6L直4OHVエンジンを載せ、ドイツ人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツが手掛けたとされる美しいクーペボディを架装して作られた。

写真右側の人物はオーナーの松永栄さん。そして、その隣にいるのが、当時日産デザイン室に在籍した木村一男さん。木村さんによると初代シルビアはゲルツが大まかなスタイリングを決め、インテリアを含む細部は日産デザイン室が担当したとのこと。

じつは63年にはすでに初代シルビアのデザインは完成していたそうだが、その頃の日産には「市販予定のないクルマはショーには出展しない」との社内規定により、第10回TMSへの展示を見送り、その間に当時の川俣克二社長を説得。市販化の許可を得て第11回TMSに晴れて展示されることになったという。



1969年型 いすゞ ベレット1600GTファストバック

いすゞ初の小型乗用車ヒルマンミンクスの実質的な後継車となったベレット。販売の主力はセダンであったが、シリーズには日本初のGT(グランツーリスモ)を名乗る魅力的なスポーツクーペが存在した。このGTは日本発のディスクブレーキを持ち、当時としては珍しかったDOHCエンジン(SOHC搭載車も存在)と四輪独立懸架サスペンションを備え、欧州車を思わせるスタイリングとスポーティな走行性能から"和製アルファロメオ"の異名をとった。


ファンから"ベレG"の愛称で呼ばれるベレットGTは、国内モータースポーツで活躍したが、同時に受註生産によるエレガントなファストバックも存在した。

メカニズムはスポーツクーペから変更はないが、リアデザインを変更したことからボディサイズと車重がわずかに大きくなっている。また、テールランプも専用の3連タイプとなったことも特徴だ。
ボディカラーはマグノーリアホワイトのみで、オプションとしてレザートップも存在したようだ。総生産台数は349台に留まる。



1969年型 スバル360

会場内に設置されたクラシックカーサーキットで観客が見つめる中を快走する1969年型スバル360。

戦時中は中島飛行機で艦上偵察機「彩雲」用の誉エンジンの改修に従事した百瀬晋六が手掛けた傑作小型車で、無駄を排したモノコック構造の超軽量ボディ、前後トレーリングアームに横置きトーションバーとセンターコイルスプリングを組み合わせた軽量・高性能な4輪独立懸架サスペンション、リアにマウントされた2ストローク0.36L直列2気筒エンジンなど、当時としては斬新なメカニズムを採用し、大人4人が合法的に乗れる実用性を獲得した。

比較的廉価な販売価格と相まって60年代には多くのユーザーから支持を集め、わが国のモータリゼーション推進の一翼を担った。

写真の車両は58~70年までの12年間に渡って製造されたスバル360の中でも後期モデルに当たる。



1970年型 トヨペット クラウン

3代目クラウンの後期型。官公庁の公用車や企業の社用車、タクシーとして重用されたクラウンは、このモデルから裕福な個人ユーザー層をターゲットとして、俳優の山村聡を起用した「白いクラウン」のCMコピーを打ち出した。

クリーンでの延びやかなスタイリングは「日本の美」をテーマにしたもの。

パワーユニットはM型2L直6SOHCと5R型2L直4OHVの2種類が設定され、クラウンの代名詞となるペリメーターフレームが初めて採用された。

高級車らしく装備が充実しており、上級モデルのスーパーデラックスには、電磁式トランクオープナーや完全自動選局式AM/FMラジオ、音叉時計、後席専用の読書灯、防眩ぼかし入りフロント合わせガラス、ヘッドレストなどが用意された。



1979年型 いすゞ 117クーペXG

カロッツェリア・ギア在籍時にジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた高級ラグジュアリークーペ。

同車は1966年3月にイタリアのトリノ・ショーに「ギア/いすゞ スポルト」として発表され、同年秋のTMSに展示されて反響を呼んだことから市販化が決定し、2年後の68年に販売を開始した。

初期モデルはすべての外板をプレスで再現することが難しく、大まかなラインだけをプレスし、その後は職人による手作業で製作された(初期モデルを"ハンドメイド"と呼ぶのはそのため)。そのため初期型の117クーペは個体によって微妙にラインや表情が異なる。

そんな117クーペに転機が訪れたのは、いすゞとGMが提携した71年のことだった。生産体制の合理化を求めるGMに対して、いすゞは乗用車事業の再検討を余儀なくされる。そして、手作りによる少量生産車だった117クーペは収益改善のためにフルプレスボディを導入して量産化されることになったのだが、その代償として細部の意匠はかなり変更され、たおやかなボディラインは幾分ゴツくなってしまった。

さらに117クーペの改悪は続く。77年のモデルチェンジでいすゞは何を思ったのか、ヘッドランプを丸型から角型へと変更してしまったのだ。しかも、インテリアもプラスチック部品が増えてコストダウンはますます激しくなった。「若者向け」として設定されたXC-Jに標準装備されたポンティアック・トランザムをパクったかのようなボンネットデカールときたらもう...。

この変更はファンの間で物議を呼んだ。幼い筆者もこの変更に大いに落胆したことを今でも覚えている。だが、今さら蒸し返しても仕方がない話だ。当時はあまり好きではなかった角目の後期型も、こうしてイベントで見かけると「そう悪いものでもないかも」と思えるようになってきた。

ただ「実際に買うなら中期型までかな」という気持ちはやはりぬぐい去れない。昔、117クーペの中古車を買ったときも、程度の良い後期型をパスして、そこそこの程度の中期型を買っちゃったくらいだし(オーナーさん、ゴメンナサイ。他意はないんですよ。ただ、やはり中期型までの117クーペが好きなもので)。


1982年型 いすゞ ジェミニ

1974年に登場したジェミニは、いすゞが提携を結んだGMの世界戦略車構想によってGMの「Tカー」をベースに開発された小型乗用車である。ジェミニの姉妹車にはオペル カデット、シボレー シェベット、ポンティアック 1000、デーウ メプシ/メプシーナなどがあり、豪州で販売されたホールデン ジェミニはいすゞで製造された車両を輸入して自社ブランドで販売したクルマである。

写真の車両は79年のマイチェン後に製造された後期型で、基本的なメカニズムは前期型を踏襲しているものの、前期型の特徴だった逆スラントノーズからスタントノーズに変更されている。同時に直4DOHCエンジンを搭載したスポーティーグレードのZZとディーゼルエンジンが追加されている。

販売力の弱いいすゞの製品ということで日本市場ではマイノリティーに甘んじていたが、地味な存在ながらも当時の日本車の中ではなかなか完成度が高く、モノの価値のわかった通好みのクルマであった。



1985年型 スバル レオーネ

1984年に登場した3代目レオーネ。当時の流行であった直線基調のスタイリングが特徴で、フラッシュサーフェイス化によりCd値は0.35と空力特性も良好であった。

エンジンは伝統の水平対向エンジンを搭載するが、このモデルから弁機構はギア駆動のカムシャフトによるOHVからSOHC化されている。組み合わされるトランスミッションは5速MTと3速ATで、MTは先代に引き続きデュアルレンジ副変速機が採用された。デビュー当初、4WDモデルはパートタイム式であったが、のちにフルタイム化されている。

レオーネはスバルらしいユニークなメカニズムを採用していたものの、華があまりない実用的な小型車ということもあり、好景気に湧いていたバブル期に「ちょっと古くなった」「10万kmを超えた」という理由でクルマとしての機能に問題がなくてもスクラップにされたり、中古車として海外に輸出されたりした(思えば贅沢な時代であった)。そのため国内の残存数が意外に少なく、今となっては稀少車となっている。



日産 Be-1キャンバストップ

日産が初代マーチにレトロ調なボディを与えた元祖パイクカー。1985年の第26回TMSでコンセプトモデルが発表され、2年後の87年に1万台限定で販売された。

バブル期の好景気も影響してBe-1は発売開始とともに予約注文が殺到する人気車となった。一部では争奪戦になったとも伝えられている。これに味をしめた日産は89年にパオ、91年にフィガロを限定販売し、その後同様のコンセプトで作られた量産車のラシーン、期間限定販売車のエスカルゴ(商用車)もリリースしている。

この人気の加熱ぶりを評論家はせせら笑ったが、90年代には同様のコンセプトでもっとお手軽に作ったスバル ヴィヴィオビストロを嚆矢とするレトロ調軽自動車が人気となり、さらには2000年代以降、VW ニュービートルやBMW MINIのような外国車にも強い影響を及ぼした。他社に影響を与えたという意味では日本車の中でも重要な1台である。

パイクカーという金鉱を掘り当てた日産であったが、バブル崩壊による収益悪化により、ラシーンのあとに続くモデルを開発する余裕がなくなり、同様のコンセプトのクルマは今もって打ち止めのままとなっている。

『トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮』は生産から30年以上が経過したクルマにエントリー資格が与えられるため、今回からBe-1も参加できるようになった。現在ではBe-1も立派なクラシックカーということなのだろう。


By Ryu Yamazaki

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