アストンマーティン・ヘリテージ・トラストに開設されたミュージアムは、歴代の名車や貴重なコレクションが満載
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皆様、あけましておめでとうございます。今年もAutoblogをよろしくお願い致します。

さて、新年1本目の記事には、米国版Autoblogの記者によるアストンマーティン・ミュージアムの訪問記をお届けしたいと思います。古い納屋を改造したミュージアムで、ミステリアスな女性館長に導かれ、記者はどんなアストンマーティンのお宝を見たのか!? 次のページへどうぞ!




アストンマーティン・オーナーズ・クラブからの要請を受け、1998年に設立されたアストンマーティン・ヘリテージ・トラストは、アストンマーティン(正式にはアストンマーティン・ラゴンダ社)や同オーナーズ・クラブの正式な資料保管庫として、2002年にアストンマーティン・ヘリテージ・トラスト・ミュージアムを開設した。ここでは、歴史に名を残す卓越したアストンマーティン車のコレクションや、1世紀に及ぶ同社の輝かしい軌跡を物語る品々がローテーションで展示されている。

ただ、筆者のようにアストンマーティンに魅了された人々にとっては少々都合の悪いことに、同ミュージアムは都市からかなり離れた郊外にある。イングランド中部のドレイトン・セント・レオナルドという小さな村の未舗装の道路沿いに、川を押しのけるようにして建っているのだ。建物は14世紀に建てられた納屋を改装したもので、住所らしい住所もない。唯一目印となりそうなのは、分岐点付近にある、故意に目立たないようにしたと思われるような公共の観光客向け看板だけだ。

自身もどことなく謎めいた雰囲気を持つ、米国人の館長ドナ・バニスター氏は言う。「看板を立てる前は、お客様は年間100人程度でしたが、今は1ヶ月に約100人の方が訪れています」

同ミュージアムをすぐに見つけられた人は運がいい(筆者の場合、タクシーの運転手が場所を見つけられず、少し歩く羽目になった)。展示物が所狭しと詰め込まれたこの中世の建物には、本物の宝も保管されているのだ。



ミュージアムに入ってすぐ出迎えてくれたのは、現存するアストンマーティンの中でもっと古い、ベアメタルのノーズが特徴的な1921年製「A3」。2000年にオークションで落札され、アストンマーティン車の熱烈なコレクターであるクウェートのシェイク・ナーセル元首相の寛大な支援により、運転できる状態にまでレストアされたものだ。バニスター氏によれば「1923年に"Kop Hill"のヒルクライム・レースで優勝したクルマ」だそうで、「最近になって我々が引き取り、ウィンザー城で開催されたコンクールデレガンスに出展しました。もちろん、英国王室の方々はアストンマーティンの大ファンです」と述べている。

1934年製「アルスター(BLB 684)」もあった。希少な2+2仕様の中で生き残っている唯一の車両だ。こちらも走らせることが可能で、「クラブメンバーであれば貸出も可能」とのこと。バニスター氏は、「ただし、クラッチが中央、アクセルとブレーキはその両側と、乗りこなすのが難しいクルマなので、実際に乗る人は少ないですね」と説明してくれた。

もちろん、近年の興味深いモデルも数多く収められている。例えば、内部構造が見える2000年製「V12ヴァンキッシュ」のカッタウェイモデルだ。オートショーなどでよく展示されるもので、今世紀初頭にフォードから受けた膨大な投資がここで実を結んでいることがうかがえる。また、量産試作車のモーニング・フロスト・ホワイトで塗られた2013年製「ヴァンキッシュ ヴォランテ」は、プロモーションや撮影用に使われていたが、塗装がうまく調整できず販売には至らなかったものだという。



エンジンもずらりと並べられている。「DB4 GT」の直列6気筒や「ラゴンダ」のV8、そして2基のスーパーチャージャーを備えた1990年代の「ヴァンテージ」のエンジンまで、どれもマニア垂涎ものばかりだ。1980年代初頭にニムロッド・レーシングが製作したレースカーも当時のカラーリングで展示されていた。これはアストンマーティン製エンジンを搭載したグループCカーだが、特に目立った戦績は残せなかったものの、1983年の世界耐久選手権シリーズをマニュファクチャラーズ・ランキング3位で終えている。エンジンが搭載されていない設計検証用スケールモデルの「One-77」もあった。100万ポンド(当時のレートで約1億3,000万円)のスーパーカーは、これで実現可能かどうかを見極められたのだ。

「お気づきかと思いますが、4輪すべてに異なる4種類のホイールが装着されています。これは幹部が見て、どのホイールが一番似合うかを判断するためなんですよ」 もちろん、気づかないわけがない。筆者の好みは右側前輪のホイールだった。



さらに、貴重な蝶を集めた標本箱のようなガラス棚が幾つも並べられている。このミュージアムには、ミニカーのコレクションやトロフィー、ポスター、特に写真などがクラブメンバーや元幹部から多く寄せられるのだ。工場から放出されたものもある。「当ミュージアムには、膨大な量の写真のコレクションがあります。これはアストンマーティンに長年勤務していたロジャー・ストアーズという従業員が所有していたものです。彼は、自主的な"資料保管係"だったと言えるでしょうね」とバニスター氏は語り、モノクロ写真で一杯の引き出しを開けて見せた。70年代の組み立てラインで働く労働者たちが写っている。彼らは、ぎこちないとも、わざとらしいとも見える動きで、エンジンを組み立ててシャシーに積んでいた。

財政状況が厳しかったそうした時代には、アストンの従業員たちはクルマが工場から出荷されるたびに拍手を送るという伝統があったと、かつて聞いたことがある。不遇を力に変える彼らの強さに心を打たれ、思わずその場に立ち尽くしてしまった。



しかし、もう1つの70年代の遺物を目の前にして、さらにその場に立ち尽くすことになった。慣れ親しんだスタイルのクルマであるにもかかわらず、車名が判別できなかったのだ。そのモデルは、1972年製「AM ヴァンテージ」。わずか70台しか生産されなかったモデルの2番目に造られた車両だ。アストンマーティンの伝説的な経営者だったデビッド・ブラウン(アストンマーティンで最も有名なモデルのイニシャル"DB"は彼の名に由来している)の時代が終わり、企業再建の時代へと突入するまでの、束の間の変遷期に製造されたものだ。

「これは基本的に、ボディが違うDB6です」とバニスター氏は言う。「DB6のシャシーやインテリアが70台分残っていたため、このモデルを製作したのです」と彼女は説明してくれた。当座しのぎの変遷期に作られたクルマであったため、デビッド・ブラウンのバッジをそのまま引き継いでいる。個人的には、コルベット風の赤ではなく、オリジナルのクリケット・ホワイトを纏っていて欲しかった。バニスター氏は、「次は塗装をし直す必要がありますが、議論を呼ぶ大事な話題ですね」と話していた。



魅力的で珍しい、こうしたコレクションを見せてもらったあとで、新たにコレクションに加えるものを探しているのかどうか、バニスター氏に尋ねてみた。彼女は力強くうなずき、「私たちはいつだって、歴史的な意義のあるクルマを探しています。DB4やDB5、DB6も集めたいと思っているのですが、今は手の届かない値段になっていますから」と答え、渇望と称賛の気持ちが入り混じったような笑顔を見せると、ミュージアムにはあまりスペースの余裕がないという理由も付け加えた。そして、「実は、クラブメンバーの方々がDB2やDB9などを何台か、遺産として提供してくださるという約束もあるのですが、まだ若い方たちですから、しばらく先の話ですね」と続け、肩をすくめた。


By Brett Berk
翻訳:日本映像翻訳アカデミー