SUBARU 360
 こんなにもワクワクした試乗も少ない。こんなにも天気予報が気になった試乗も少ない。
この日は富士重工が企画した「歴史講座」の日。大切に保管管理してきた伝説のくるま達のステアリングを握ることが許された日だったのだ。
 ただし、条件は天気が雨でないことだった。それもそのはずで、大切な稀少車をウエット路面で走らせるのははばかれる。良好なコンディションをキープするためにも、雨が降らないことが唯一の約束事だったのだ。そしてその日、台風19号の接近が報道されている中なのに、奇跡的にその時間だけ雨が上がった。ツイテいた。

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 スバル360は日本の高度成長期を支えた"くるま"である。「車」で漢字で表記するは似合わないし、カタカナの「クルマ」もイメージが違う。やはりスバル360は平仮名で「くるま」とするのが心地良い。
 デビューは1958年。13年間販売しつづけたモデルである。時代は戦後の高度成長期。日本経済が右肩あがりで上向きつづけ、貧しかった日本人が「ゆたか」を実感しはじめた時代である。

SUBARU 360
 高値の華だったマイカーが、庶民にも夢の車ではなくなった時代だ。通産省が「国民車構想」を掲げており、その役割を担ったのが排気量を360cc以下と定めた軽自動車だ。その急先鋒がスバル360だったのだ。

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 スバルは軽自動車といえども、大人4人がのれるくるまを目指した。RR方式を採用したのは、室内を広くするためには、エンジンを駆動輪に直結させたRR方式が理想だと考えたからだ。フロントが軽いから、ステアリングの操舵力も軽減できた。タイヤを小径の10インチとしたのも、室内空間を確保するためである。

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 全長は1995mm、全幅は1300mm、高さは1335mmと小さい。車重は385kgだった。それでも大人4名を乗せたのだから国民に支持されたのも道理である。ちなみに、2シーターのスマートはスバル360よりも全長で505mmも長く、全幅で200mmも広い。安全性などの要件が厳しい現在のくるまと比較するのも酷だが、あきらかに小さいのだ。このスペースに大人4人を乗せたというのだから驚きである。

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 エンジンは空冷2気筒2ストロークである。初期はわずか16馬力しかなかった。のちに36馬力まで強力になるのだが、非力ながら国民を乗せて野山を駆け回ったのである。

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SUBARU 360
 1960年生まれの僕が子供の頃、自宅にはスバル360があった。自宅から駅までに緩い登り坂があった。父はそこに差し掛かると、はるか手前からの助走を利用しつつ、勢いをつけて駆け上ったものである。
 それでも家族4人で東京から草津や信州までスキー旅行をしたものだ。こんなに非力なのに、よくもまあ雪道を長距離移動できたものだと感心する。そう、日本の庶民の家庭にモータリゼーションを巻き起こしたのである。こんな思い出を持つ日本人は大いに違いない。

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 そんな思い出を噛み締めながらの試乗は楽しかった。前開きのドアから潜り込むようにして運転席に座る。ホイールハウスは、アクセルペダルの真横に張り出している。確かに10インチタイヤでなかったら、室内空間に深く浸食していただろう。

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 2ストローク2気筒のエンジンは、バリバリと音を響かせ、白煙を巻き上げながらも力強く走った。急な上り坂での発進はたよりなさそうだが、少なくとも助走をつけずともグイグイ登っていきそうな程度のトルクはあった。僕の記憶の中のスバル360は調子があまり良くなかったのかもしれない。

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 ステアリングホイールは、力を込めるとポキリと折れてしまいそうにか細いから、親指と人差し指でつまむように握った。カーブでも、かなり軽快に走った(コーナーじゃなく、カーブと言いたくなる)。

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 なりよりもしみじみしたのは、助手席の人とは肩が擦れ合いそうに近いことだ。後席も、振り返ればすぐそこにある。家族4人が肩を寄せ合いながらドライブにいったのだ。はじめてのマイカーを手に入れたささやかな庶民の平和を詰め込みながら、家族の絆を支えたのだ。三丁目の夕日の世界である。


■スバル 公式サイト
http://www.subaru.jp