ながら運転をなくすにはどうすればいい?
米国運輸省の調査によれば、運転中に携帯電話でテキストメッセージのやり取りを行っているドライバーは、これをしないドライバーと比べて事故に遭う確率が23倍にもなるという。このような恐ろしい結果が出ているにもかかわらず、ドライバーの37%以上が時々、18%が日常的に運転中にメールの送受信などをしているそうだ。だが、最近のロサンゼルスの路上を見ていると、実際はもっと多いように感じられる。渋滞中に周りを見渡せば、明らかにほとんどのドライバーが運転よりも、携帯機器に気を取られている。

現代はかつてないほど運転の邪魔になるものがあふれていることは、疑いの余地もない。しかし、ながら運転が社会や法律に与える影響について活発に議論されるようになったのは最近のこととは言え、運転中の気を逸らすような機器が登場したのは今に始まった話ではない。

1950年代半ばまで、車内のオーディオエンターテイメントは多分に受動的なもので、ラジオから流れているものを聴くか、エンジン音に耳をすますかのどちらかであった。しかし、1956年にクライスラーが車載レコードプレーヤー「Highway Hi-Fi」を発表したことから、車内で音楽を能動的に聴くという時代が始まった。当初からこのコンセプトの評判はよくなかったが、このプレーヤーの登場によって、ドライバーはラジオのDJではなく、自分が選んだ音楽を聴けるようになった。ご想像のとおり、レコードの音飛びに注意を払いながら運転しなければならない非常に厄介な代物だったが、この製品を始まりとして、それから数十年の間にドライバーの注意を逸らす機器が多様化していった。

とはいえ、20世紀の終わりまでは、車内で気を取られることといえば「次はどんな音楽を聴こうか」という程度に限定されていた。しかし、ポケベルの誕生がその後に訪れる情報通信生活時代の予兆となる。これが手に負えない問題となるのは携帯電話が普及し始めてからのことだ。スマートフォンが普及したこの10年の間に、いつでも誰とでも簡単につながるという概念が問題化し、政府も自動車メーカーもその対応に追われることとなった。

現在は米国全土で、ドライバーが携帯電話に出るためにハンドルから手を放す行為を防止する法案が可決されている。しかし、多くの地域においてその法律には強制力がない。さらに、運転中の通話は、ハンズフリー機能を使用しても、個人の注意がそがれるレベルはほとんど変わらないことが、いくつかの研究結果で分かっている。

最近では、スマートフォンによる注意散漫を最小限に留めるため、そして車内にも現代的で馴染みのあるインフォテインメント・システムの使い勝手を提供するため、Appleの「Apple CarPlay」やGoogleの「Android Auto」のようなテクノロジーが生み出された。これらのインターフェイスはスマートフォンに備わる機能と連動し、運転中によく使うタスクを簡単に実行できるように作られている。しかし、安全であろうがなかろうが、ドライバーが運転中に携帯機器を使用することを根本的に受け入れているのだ。



だが実際問題として、これらのインターフェイス自体が神経をかき乱す原因にもなっている。たとえばCarPlayでは、グーグルマップを使うことができない。 そのため、代わりにアップル独自の地図ソフトウエア(Apple Maps)に頼ることになるが、圏外に出ると地図情報が完全に止まってしまう。その上、CarPlayの地図表示も拡大縮小の機能が不十分で使いにくいのだ。

筆者は最近、CarPlayを搭載したクルマで約1,100kmほど走行したが、見限るのに十分な回数の悪態をついたのち、最終的にCarPlayとApple Mapsの使用をやめた。代わりにカップホルダーに自分の携帯電話を置き、その画面に表示したGoogleマップを見るようにした。結果的にCarPlay本来の目的を全く無視した形となってしまった。

もちろん、CarPlayは導入がまだ始まったばかりだから、時の経過とともに必ず進化を遂げるだろう。おそらく、ある時点でサードパーティ製のナビゲーション・アプリもドライバーが使えるようになることが期待できる。しかし、ながら運転問題の解決というゴールには、ほど遠 いと言えるだろう。Android Autoについては、日々の運転における効果について決定的な意見を言えるほど、十分に使用していない。しかし、装置の入力方法に関わらず、運転中にスマートフォンを使用するのは、本質的に注意力散漫になると言える。そのため、このような最新の試みも問題解決にはほとんど役に立たないと証明されたら、我々はどこでこの流れを止めることになるだろうか?



By Bradley Iger
翻訳:日本映像翻訳アカデミー