マツダ三次試験場50周年記念ファンミーティングで、ル・マン優勝マシン「787B」が走った!
広島県三次市にあるマツダのテストコース「三次自動車試験場」が、今年で開設から50周年を迎えたことを記念して、多くのマツダ車を育んだこの地で9月20日にファンミーティングが開催された。

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はじめに言っておきたいのは、今回の「三次試験場50周年マツダファンミーティング」が、マツダ自ら主催したイベントではないということだ。主催者はあくまでも、マツダ車ファンの方々が中心になって構成された実行委員会で、マツダは特別協賛という形で参画している。だから、実行委員の1人として参加しているマツダ社員の方が、自分たちの仕事を展示・説明する企画はあっても、マツダという会社の宣伝や新車のプロモーションは特になし。会場には新型「ロードスター」が置かれ、誰もが自由に触れることができたが、カタログや価格表の類は用意されていなかった。

とはいえもちろん、マツダも会場の提供をはじめ多くの協力を寄せ、ファンと一緒にこのイベントを盛り上げた。その1つが、1991年のル・マン24時間レースで、現在まで日本車として唯一の総合優勝に輝いた「マツダ 787B」のデモンストレーション走行だ。




マツダによるル・マン24時間レースへの挑戦は1974年に始まる。この時はマツダ車のディーラーであるマツダオート東京と、トヨタ車のレース活動で知られるサードの前身、シグマオートモーティブによる共同参戦だった。シャシーはシグマの開発したマシンだが、エンジンはもちろんロータリー。それまで"未来のエンジン"と持て囃され、苦闘の末にマツダのみが量産に成功したロータリーだが、前年に巻き起こったオイルショックにより、社会的な風当たりが強くなっていた時期である。

マツダオート東京はその後、「マツダスピード」と名前を変え、マツダのワークスとしてル・マン参戦を続ける。そしてロータリー・エンジンの出場が認められる最後の年となった1991年、優勝候補と目されていたメルセデス・ベンツやジャガーのグループCカーが順位を落とし、または姿を消す中で、2.6リッターの4ローター・エンジンを搭載する3台のマツダ 787Bは走り続け、印象的なグリーンとオレンジ色に塗り分けられた55号車が悲願の総合優勝を果たす。



今回のイベントでは、長年ル・マンに出場を続けたことから"ミスター・ル・マン"と呼ばれる寺田陽次郎氏がドライブを担当。大勢のファンが見守る中、三次試験場の高速周回路を走行し、他に類のない4ローター・レーシング・エンジンの快音を響かせた。787Bは車高が低いため、名物の高速バンクは路面に接触するおそれがあるから走行不可と事前には打ち合わせていたそうだが、会場の雰囲気に後押しされたのか、ミスター・ル・マンは果敢に45度バンクを走り抜け、ロータリー・サウンドに負けないほどの大声援を浴びた。

この三次試験場には、787Bによるル・マン優勝を記念して植えられた1本の木とともに、「飽くなき挑戦」と刻まれた記念碑がある。1960年代にロータリー・エンジン開発の中心となり、1991年当時にはマツダの会長だった山本健一氏の言葉だ。他の全自動車メーカーがさじを投げ出したロータリー・エンジンに向かい、まさに"飽くなき挑戦"を続けたからこそ、マツダはル・マン優勝を成し遂げることができた。この精神はもちろん、ロータリーに限らず、ガソリン・エンジンでは世界一高い、ディーゼル・エンジンでは世界一低い圧縮比を実現した現在のスカイアクティブ等にも受け継がれている。



三次試験場では今もこの記念碑の周りで、明日のマツダ車が密やかに激しく走り回り、世に出る日に備えて鍛えられているはずだ。その中には高速周回路の形状にも似た三角形のローターが、ボンネットの下で回っているクルマもあるかもしれないと想像を膨らませつつ、ファンミーティングで撮影して来た動画で787Bの走りを少しだけでも味わっていただけたらと思う。





By Hirokazu Kusakabe