半世紀ぶりに図面から復元された「トヨタ パブリカスポーツ」!(前編)
今年2月に開催された旧車イベント「ノスタルジック2デイズ」に、小さくて魅力的な1台のスポーツカーが展示された。「トヨタ パプリカスポーツ」。通称「ヨタハチ」こと「トヨタ スポーツ800」の原型になったと言われるこのクルマは、1962年に製作されたプロトタイプを当時製作に関わった方々が中心となって50年ぶりに復元したものだという。

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"旧車" と言われる日本のクラシックカーについて詳しい方なら、このクルマがトヨタから1965年に発売された小型軽量スポーツカー「トヨタ スポーツ800」によく似ていることは一目でお分かりだろう。しかし、そのボディ両サイドには一般的なドアが見当たらず、戦闘機のようなルーフと一体型のキャノピーが前後にスライドして、 "コクピット" に乗り込むという点が、市販車の「ヨタハチ」とは大きく異なる。



開発の中心となった人物は、初代「カローラ」の主査も務めたことで知られる長谷川龍雄氏。第二次大戦中に立川飛行機で戦闘機の設計に携わり、終戦後の1946年にトヨタ自動車に入社、大衆車「パブリカ」の開発を担当した彼は、戦時中に文字通り世界を相手に見据えて培った航空機技術を、戦後の自動車開発に活かしたいと考えていた。つまり、空気力学的設計と軽量化構造である。そして1962年、パプリカのシャシーとコンポーネントを流用した1台の「研究実験車」で、その想いを形にする。



設計と試作は、トヨタの車体製造などを請け負っていた関東自動車工業(現在のトヨタ自動車東日本株式会社)に依頼された。フロアパネルを二重にしたサイドイッチ構造や、空気抵抗低減のためガラス周りから床下表面に至るまで凹凸の少ない丸みを帯びた形状を追求し、その結果として採用されたスライド式キャノピーなどに航空機技術の応用が見て取れる。当時、関東自動車工業で設計を担当され、今回の復元作業にも携わった満沢誠氏は次のように回想されている。

「(パプリカスポーツの設計は)楽しく担当させてもらいましたが、トヨタさんの仕事はいつも厳しいけれど、あのときは特に厳しかった。3月に設計が始まって、半年で形にしなければならなかったので、夜を徹して設計を担当しました」



なぜ「研究実験車」なのに納期が厳しかったかというと、その年の10月に晴海で開催される第9回東京自動車ショーに展示するため。このショーで大評判を獲得したパブリカスポーツは、その反響に後押しされるように市販化へ向けた開発が始められ、1965年にはトヨタ スポーツ800として発売されることになる。(下の画像)。その過程で残念ながら乗降性の問題や安全性の点からスライド式キャノピーは却下されたが、軽量構造と空力ボディのコンセプトは継承され、パブリカ用をそのまま流用していたエンジンの排気量が拡大されたこともあり最高速度は155km/hを記録。第1回船橋CCCレースでは浮谷東次郎のドライブで、一時は17位まで落とした順位から逆転優勝という伝説を創るなど、モータースポーツでも活躍を見せた。



さて、このハプリカスポーツがお披露目された1962年当時、50年後に満沢氏(下の画像:中央)と共にその復元作業に取り組むことになる2人の人物がこれを目にしている。

1人は後にトヨタ自動車でデザイナーとして初代から3代目までの「カローラ」を担当された諸星和夫氏(下の画像:左)。1962年、大学卒業を控えていた諸星氏は「トヨタに行けばこんなものが作れるのか!」と思ってトヨタに入社することを決めたそうだ。パブリカスポーツの生みの親である長谷川氏の下で、カローラ開発に取り組んだ経験をお持ちの諸星氏によれば、当時トヨタの中であのパブリカスポーツというクルマは「ある人達が、ある意味どさくさ紛れに実験的なことをやったクルマ」だという。トヨタスポーツとして生産化されることが決まって、「担当者達はびっくりした」そうだ。つまり、はじめから市販化を前提としてショー向けにちょっと派手目に作ったコンセプトカー、ではなかったというわけである。

そしてもう1人、今回の復元プロジェクトのいわばきっかけを作った安藤純一氏(下の画像:右)。現在は株式会社ブーメランの社長として、トヨタのコンセプトカー製作などを手掛けていらっしゃる安藤氏も、当時まだ中学生。小学校生のところから一度も学校を休んだことがなかった安藤少年は、晴海に展示されたパブリカスポーツが名古屋に来ると聞いて、「9年間で1日だけ、休んで見に行った」という。「そのくらい惚れちゃいましたね。未来というより、飛行機のイメージしかなかった」そうだ。



一方、研究実験用として2台が製作されたパブリカスポーツは関東自動車工業からトヨタに納められ、実際に実験に使われた後、ひっそりと役目を終える。「トヨタに入ったら見てやろうと思っていた」という諸星氏だったが、「何故かどこにもない。関東自動車に訊いてもなかった」そうである。恐らく、人知れず破棄されてしまったのだろう。パブリカスポーツはこの世から消え、幻のクルマとなってしまった。しかし、市販車のトヨタ スポーツ800が世に出た後も、グラスキャノピーを持つパブリカスポーツは人々の心に強く残り続けた。



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