ちょうど30年前の今日、モーター・レーシングやスポーツカーの世界において偉大な功績を残した人物がこの世を去った。12月16日はロータスの創設者コーリン・チャップマンの命日である。

蓮を象ったロータスのエンブレムに描かれる4つのアルファベットが頭文字を表すように、本名アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン(Anthony Colin Bruce Chapman)は1928年5月19日、イギリス・サリー州のリッチモンドに生まれた。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで構造工学を学びエンジニアとしての知識を身に付ける一方、友人とはじめた中古車売買によってビジネスのセンスを磨いたと言われている。また、学生時代には大学航空隊(英国空軍の訓練隊)に加わり飛行機の操縦を習得し(少しの間、空軍にも入隊したようだが、民間人としての生活を選んだ)、卒業後はブリティッシュ・アルミニウム社に入社している。この経歴はどれも後のチャップマンに欠かせない経験と知識と技術の礎となるのであった。



言うまでもなくチャップマンは学生時代から熱狂的なクルマ好きで、中古車売買ビジネスで売れ残った「オースティン・セブン」のパーツを流用し、ガールフレンド(後に妻となるヘイゼル)の家の裏庭に持ち込んでオリジナルのクルマを製作。これに乗っていくつかの競技に出場すると、その抜群の速さは周囲の注目を集めることになる。

これらのレースで得た賞金を基に、続いてチャップマンはよりパワフルなエンジンを搭載した2号車を製作。このクルマは「ロータス Mk2」を名付けられ(というわけで1号車は「Mk1」と呼ばれることになる)、数々のレースで勝利を収める。時にはブガッティさえ打ち負かすほどの速さを見せた、チャップマンの作るクルマ「ロータス」の名声は一挙に拡がり、「俺にも作ってくれ」と多くのエンスージァストから依頼が寄せられた。この声に応えて、というよりもチャップマンはおそらく最初からその心積もりだったのであろう、1952年、「ロータス・エンジニアリング」社を設立し、ついに市販モデル「Mk6」の開発に乗り出すのであった。

その後継車「7(セブン)」は後にケータハム社が生産設備ごと買い取り、現代では独自の進化を遂げて人気を博していることはご存じの通り。そして「Mk8」「MK9」「Mk10」と発展していったロータスのレーシング・スポーツカーは、1956年に製造された「11(イレブン)」でル・マン24時間レースに挑戦。いきなり1.1リッター・クラス優勝、総合でも7位に入る大活躍を見せる。その後も、FRP製モノコックを採用した「エリート」をはじめ、傑作ライトウェイト・スポーツとして今なお人気が高い「エラン」、我が国では漫画『サーキットの狼』で有名な「ヨーロッパ」、映画『007』シリーズでボンドカーにもなった「エスプリ」など、数々の魅力的なスポーツカーがロータスのファクトリーから誕生した。



「ロータス・カーズ」社が革新的な市販スポーツカーを市場に送り出す一方、自社製フォーミュラ・カーでグランプリに参戦を開始し、F2からさらにF1、そしてアメリカのインディ500まで制覇した「チーム・ロータス」では、チャップマンとそのチームのエンジニア達がいくつかの革命的なアイディアをレースの世界に持ち込んだことはよく知られている。バスタブ型モノコック構造のシャシーや、エンジンとトランスミッションを車体後部の強度部材とする設計、車体前面の空気抵抗を減らすためにラジエーターをボディのサイドに設置することなど、彼らが発明したアイディアの中には現代のレーシングカーでは常識となっているものも多い。それまで国籍を表すナショナル・カラーで塗られていたF1マシンを広告塔として利用することを思い付き、ボディ全面にスポンサーのロゴや商品パッケージのデザインを描くカラーリングを導入したのもチャップマンが始めたことだ。

航空力学を応用することでダウンフォースを積極的に活用し、さらにそれを進めて車体を1つの「翼」として捉え、飛行機の翼を上下引っ繰り返した形状にすれば揚力の反対、つまり大きなダウンフォースを得られるというグランド・エフェクトカー(通称ウイングカー)は、F1の世界に大きな衝撃を与える大発明の1つではあったが、恐ろしく速いコーナリング速度を実現する代わりに危険も多く、現在では禁止されている。とはいえ、現代のF1でもこのグランド・エフェクトを利用することは、ダウンフォースを得るためには当たり前の手段となっており、それはマシン後部に備えられたディフューザーを見ればお分かりだろう。



そんな速さを追求する姿勢は時に安全性を軽視していると批判する声もあり、例えばチャップマンは、「壊れないクルマはまだ重過ぎるということ」と言い放ち、最初は限界を超えるほど軽量に設計し、強度が不足して壊れる部分があればそこだけを補強していけばよい、という考え方を持っていたとも伝えられている。これではドライバーはたまったものではない。だが逆に、レース中にミスを犯したピットクルーは、ドライバーの危険に直接つながるという理由から問答無用で即日解雇されたという話もある。1965年にロータスのフォーミュラカーに乗ってF1チャンピオンとインディ500ウィナーを同時に達成したスコットランド人ドライバー、ジム・クラークが1968年の事故で死亡した際には、販売するロータス製スポーツカーに黒いエンブレムを付けて追悼の意を表したこともあった。決してドライバーを蔑ろにしていたわけではないはずだ。




速いクルマを作ってレースで実証し、それを販売して事業を興したロータスの総帥コーリン・チャップマンは、F1に空力とスポンサー・カラーを持ち込んだ、優秀な技術者であると同時に辣腕ビジネスマンでもあった。彼がよく口にしたという「パワーを増やせば直線は速く走れる。だが車重を減らせばコース全体を速く走れる」という言葉がそのデザイン哲学を端的に表していると言えるだろう。トレードマークのハンチング帽は、チームのマシンが優勝するとその歓びを表現するべく高々と放り投げられるのが恒例行事であった。1982年に心筋梗塞でこの世を去ったとき、彼はまだ54歳。もしその後も存命であったならば、1985年にチームに加入したあのアイルトン・セナのために、どのようなマシンを用意したであろうか...。






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