【ノスタルジック2デイズ】カーボン・ボディが妖しい!S30型「日産フェアレディZ」
ロッキーオートが手掛けた「日産フェアレディZ」の高解像度ギャラリーは上の画像をクリック

日本を代表するスポーツ・カーとして、その名前が1960年代から受け継がれ続けている「日産 フェアレディ」(途中ブランクもあったが)。今回ご紹介するのは、旧き佳き時代のプロポーションはそのままに、現代の素材と技術を投入して大改造を遂げたS30型と呼ばれる初代「フェアレディZ」だ。

日産が1969年に発売した「フェアレディZ」は、ロング・ノーズ/ショート・デッキという当時最先端だったヨーロピアンGTのようなスタイルと、充分なトルクを発揮する直列6気筒エンジンを持ちながら、比較的手に入れ易い価格が付けられていためアメリカを中心に大ヒット。その煽りを受けて、MGやトライアンフといった当時のイギリス製スポーツ・カーたちは売り行きがガタ落ち、'70年代でそのほとんどが終息してしまったほどだ。

ではなぜ、当時の日本車がそれほどアメリカのクルマ好きたちの心を捉えらることができたのか。それはフェアレディZというクルマのコンセプトが、アメリカ生まれだからだ。

当時、ニッサンUSAの社長だった片山豊氏は、日産車をアメリカでこれまで以上に売るためには、日産のイメージを牽引するようなモデルの存在が必要だと感じていた。
そこで彼は日本の日産本社に掛け合い、アメリカ市場のニーズに応える新しいスポーツ・カーの開発を要望する。それは、'60年代に多く走っていたオープン・トップで簡素な装備のスポーツ・カーではなく、"GTカー" と呼べるような余裕ある性能と快適性、そして日産車のイメージを引き上げるような魅力的なスタイルを備え、しかし大衆向けスポーツ・カーの価格で売れるクルマでなければならない。
この難しい要求を乗り越えて誕生したのが、アメリカ人が親愛の情を込めて「Z(ズィー)カー」と呼ぶ「ダットサン 240Z」、日本名「フェアレディZ」だった。

フロントの伸びやかなノーズの下には、「セドリック」に積まれていた直列6気筒SOHC「L型」エンジンを搭載。主にコストの面から、スポーツ・カー向けとはいえない乗用車用ユニットが採用されたわけだが、豊かな低速トルクと高い信頼性、また他の日産車と共通部品を使うことによる整備の容易さから、アメリカにおけるこのクルマの使われ方にはうまく適合した。4ドア・セダンにレースカー譲りのDOHCエンジンを搭載した同時代の「スカイラインGT-R」とは正反対の成り立ちだったと言えるが、結果的にはこれが奏功したということになる。

アメリカ仕様は「240Z」の名前通り最初から2.4リッター・エンジンが積まれ、153psを発生。日本仕様としては当初は2リッターのみの設定で、120psに留まった。高性能版として「スカイライン GT-R」用「S20型」DOHCエンジンを搭載する「フェアレディZ432」も存在し、こちらはGT-Rと同じ160psを誇った。


愛知県の「ロッキーオート」が展示していた黒いフェアレディZは、そんな「GTカー」としての資質を、過剰とも言える水準にまで高めた一台。

ボディ・パネルの各部をカーボン・ファイバー製に置き換えることで軽量化(ただしルーフ等はカーボン調フィルムだとか)。モノコックにはフレームやスポット溶接を追加して「とことんまで補強してある」という。

エンジンは3リッターの「RB30E」型に、"平成のスカイラインGT-R" でお馴染みの「RB26DETT」のヘッドを組み合わせてDOHC化。吸気系は「あえて、キャブレターにした」というソレックスを3連装。排気系にはワンオフで製作したというステンレス製6-1タイプの等長エキゾースト・マニフォールド(いわゆるタコ足)が装着されていた。

足回りやブレーキは現代のパーツで強化され、乗り味はというと「操作に対してスムーズで素直」だそうだ。このイベントにも、岡崎市から自走で横浜まで来たというが「低回転からトルクがあるので、5速入れっぱなしで走れる」ため、燃費はリッターあたり「10kmくらいはいく」という。

ここまでやれば価格もそれなりの額になり、1,290万円(本体)と書かれていた。もっとも、S30型フェアレディZの相場自体が、最近ではかなり上昇しているようだ。


ギャラリーではロッキーオートの特別な車両以外に、S20エンジン搭載の「Z432」や、1971年に追加された通称「Gノーズ」を装着する「240Z-G」の姿も併せてご覧いただきたい。


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