【ノスタルジック2デイズ】イタリア風デザインを纏った「いすゞ117クーペ」!
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流麗なボディ・ラインを持つこのエレガントな4人乗りクーペは、今は乗用車の生産から撤退してしまった いすゞ が1968年に発売した「117クーペ」。まるでイタリア製GTのようにも見えるが、それもそのはず、デザインはアルファ ロメオの「ジュリア・スプリントGT」などで有名なジョルジエット・ジウジアーロの手によるものだ。

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117クーペは、当時ジウジアーロがチーフ・デザイナーを務めていたカロッツェリア・ギアが、いわゆるデザイン・スタディとして1966年春のジュネーブ・モーター・ショーに出展した「117スポルト」を原型とする。このショーの展示車の中から最も美しいクルマを選ぶコンクール・ド・エレガンスで、117スポルトは見事優勝。続いてイタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレでも名誉大賞を受賞した。
その年の東京モーターショーでも賞賛を博した117スポルトだったが、ショーカーとしてデザインされた繊細なボディをそのまま市販車として量産するには多くの困難があったという。

生産に向けて、まずジウジアーロ自身の手で修正が施されたが、117スポルトの持つ美しさを崩さずに、ボディ・パネルをプレス機で製造することは当時のいすゞには不可能だった。それでもジウジアーロのオリジナル・デザインに拘ったいすゞは、プレス機で打ち出したパネルをもとに、大部分を手作業で加工して仕上げるという工法を採って市販化に漕ぎ着けた。

「117クーペ」として発売されたのは1968年12月。ショー・デビューから2年と9か月も経ってのことだった。
月産30~50台というハンドメイドの少量生産ゆえ、当時の価格は172万円とかなりの高価格。現在の貨幣価値に換算すると800万円以上に値するだろう。

当初のエンジンは排気量1584ccの直列4気筒。いすゞ初のDOHCで、120psの最高出力と14.5kgmの最大トルクを発生した。1970年には日本で初めて電子制御燃料噴射装置(インジェクション)を装備したというモデルが追加されている。

その後、117クーペは1973年にボディ各部を刷新することでプレス機による成形を可能にし、月産1000台という量産車に生まれ変わった。1977年にはヘッドライトが角形となり、現代化とコスト・ダウンを図られながら1981年まで生産された。

今回ご紹介する淡いブルーとワイヤー・ホイールが美しい117クーペは1974年型。「量産車」となりながらも、ご覧の様にまだ全体のフォルムには流麗さが充分に残されている。
36年間の走行距離は7万6,000km。一人のオーナーのもとで車庫保管されていたという奇跡の "ワン・オーナー車" だ。塗装は新しいが、ドアの内張には新車時に付けられていたビニールが残っていた。

この車両を展示していた「ISUZU SPORTS」によると、状態は綺麗でも量産型となった第2期の117クーペは価格相場がそれほど高くはなく、このクルマも車検・諸費用込みで約120万円とのこと。
ちなみに隣りに展示されていた濃いブルーの初期型「ハンドメイド」モデルは、1971年型で268万円。そのくらい価格に開きがあるのだ。こちらは一体成形のバンパーや繊細なディテールなど、ジウジアーロが描いた本来のデザインに近いところが魅力。117クーペといえばこのハンドメイドに拘る人がいるのも分かる。

維持していく上では外装部品に欠品が出ており、その辺りは古いものを直して使うか、または部品取り車から調達するしかないとのこと。また、ブッシュ類がだんだん少なくなってきているそうだ。

チューニングして乗る人も多いようだが、大掛かりな改造よりも、オリジナルが錆びてしまっていることが多い排気系を交換するときにステンレス製マフラーを装着したり、ヘタったショック・アブソーバーを現代の製品に換えるなど、直すついでに新しい社外パーツに換えるというケースが多いらしい。
また、スターターや点火系・電装系などに現代の部品を使うとトラブルも減るという。
中にはSOHCの117クーペに、後年の「ジェミニ」のツインカム・エンジンを搭載する人もいるそうだ。

比較的手頃な価格で乗れる旧車としては、いすゞ系は狙い目かも知れない。誰が見ても格好いいと思える117クーペのスタイルなら、同時代のイギリス車・イタリア車と並んでも決して負けはしないだろう。
ただし、この時代のモデルにはクーラーは付いていてもパワー・ステアリングなどは装備していない。格好良く乗るには、苦労を決して表に出さないことが肝要だ。