ルノーは、フレンチ・モータースポーツ・ファンにはたまらない「ゴルディーニ」の名前を復活させると発表した
まずは小型車トゥインゴをベースにした「トゥインゴ・ゴルディーニRS」を25日に公開、2010年に発売する。その後「クリオ(日本名ルーテシア)・ゴルディーニRS」が続く予定だ。 フィアットをチューンした「アバルト」やミニでお馴染み「クーパー」は日本でも超有名だが、ではゴルディーニとは何者だろうか?

アメディオ・ゴルディーニは1899年イタリア・ボローニャ近くの町バッツァーノで生まれる。第一次大戦時はイタリア歩兵隊に従軍し、復員後にフィアット等の代理店で働きながらツーリングカーやレーシングカーのチューンを始めた。 1925年にはパリに移り住み、'30年頃からフィアット車をチューンしたマシンでレースに参加。1934年にボルドー24時間レースで優勝し、翌年には7レース中5レースで勝利を挙げた。
この活躍に目をつけたのがフランスでフィアット車をノックダウン生産していたシムカだ。ゴルディーニはシムカによる援助を受けるとともに、シムカ車をベースにしたマシンでレースに参戦するようになる。シムカ版フィアット500(初代)である「シムカ・サンク」をベースに彼が製作したマシンは、ル・マン24時間レースにおける3年連続クラス優勝をはじめ8つの長距離耐久レースで5つのクラス優勝を獲得。
単なる大衆車をベースに製作したマシンで素晴らしい戦績を挙げるアメデ(フランスに帰化したときに改名)・ゴルディーニを、人は「ル・ソルシェル(魔術師)」と呼んだ。

第二次大戦後の1946年には本格的にシムカと組んで「シムカ・ゴルディーニ」チームを結成。1950年に始まった世界選手権のF1やF2に参戦する。アジア人初のF1ドライバーとして有名なタイのビラ王子(プリンス・ビラボンス・ハヌバン)やモーリス・トランティニアン(映画「男と女」の主演ジャン・ルイ・トランティニアンの叔父)らがドライバーを務めたが、ノンタイトル戦以外では一勝もできないまま'52年にシムカと決別。「ゴルディーニ」として単独参戦を続けるも資金難によってチーム運営が困難となり、'57年6月23日に解散してしまう。アメデ58歳の誕生日だった。

シムカとの関係が解消後の1956年、ゴルディーニはルノーと開発提携の契約を結びルノー・ドーフィンのチューニングを担当する。1964年には自身の名を冠した最も有名なモデル「R8ゴルディーニ」が発表される。小型セダンR8をベースにしたこのスポーツ・バージョンは1108cc直4エンジンに特製ヘッドとツインチョークキャブレターを搭載。魔術師の手にかかるとベース車の約2倍もの最高出力、95psを発生した。すぐに実戦投入されこの年のコルシカラリーで1位、3位、4位、5位を獲得。数々のラリーやレースで活躍する。
'66年には排気量を1255ccに高めると同時に、世界初のワンメイクレース「ゴルディーニ・カップ」が開催されプロ・ドライバーへの登竜門となった。
R8ゴルディーニは誰でも簡単に乗りこなせるようなクルマではなく、自在に操るには高度なテクニックが要求されたため、若手ドライバーが腕を磨くのには最適だったそうだ。ルノーの初代F1ドライバー、ジャン=ピエール・ジャブイーユもその一人である。 果たして21世紀のゴルディーニはどれだけ乗り手を成長させるクルマとなるのか。
すでにルノー・スポールによって磨き上げられた上に「魔術」がかけられるというのだから期待は大いに高まる。
単にフレンチ・ブルーのボディーに白いラインを入れるだけ、のような"コスメティック・チューン"だけは勘弁願いたい。

1979年、アメデ・ゴルディーニは79歳でこの世を去る。今年は彼の没後20年であり生誕110年という記念すべき年なのだ。